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子供たちからの声

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MASAYAさんたち・(株)ホームオブハートとの出会い

この文章の経緯
この文章は3年前、悪夢のような一時保護生活が終わって間もない頃、黒磯警察署(現:那須塩原警察署)の方々へ、私からの上申書として出した物を、ホームページを開設するにあたり、一部修正したものです。
今回の騒動により、突然家から連れ去られ悪夢の日々を過ごし、大切な人を悪者に仕立て上げられ、心身深く傷ついていた、私の心境がつづられたものです。

MASAYAさんとの出会い

 MASAYAさんのことは、小さい頃から知っていました。私の父が、MASAYAさんの音楽の大ファンで、家でも会社に行く車の中でも病室の中でも、ずっと聞き続けていました。父の車の中は、MASAYAさんの音楽をダビングしたカセットテープでいっぱいでしたし、よく一緒に新潟のCDショップにCDを買いに行ったりしていました。でも、父は私が小学校3年生のときの夏休みの終わり頃に、スキルス癌で亡くなりました。入院してから8ヶ月の命でした。その頃、私たちはあまり学校に行っておらず、福島県の祖父母の家にいたのですが、父が死ぬその日、ちょうどお見舞いのために新潟に帰りましたが、その日の夜に亡くなってしまいました。
 その後、一番最初にMASAYAさんに会ったのは、1998年の12月のコンサートでした。コンサートなので会ったというか見たというか…。初めて見たとき、あまりにもMASAYAさんの雰囲気が父に似ていたので、一瞬目の錯覚かと思いました。
 MASAYAさんと初めて話をしたのは、1999年3月頃にロサンゼルスでのレコーディングツアーに参加したときでした。このときに、レコーディングした曲は、「青空のように」というアルバムの曲で、私がもっとも好きなアルバムです。ツアー中、ビバリーヒルズのレストランでお食事をしたときに、MASAYAさんと一緒の席に座りました。いろいろ話しているうちに、私たちはあることに気づきました。それは、私たちもMASAYAさんも同じ病気(スキルス癌)で愛しい人を亡くしていたのです。(MASAYAさんも1997年の4月に松田賀江さんという一番のパートナーを亡くしてしまいました。)
 しばらくして、レコーディングコーディネーターのMGさんが同じテーブルにやってきたので、私と妹TはMGさんとMASAYAさんにクイズを出しました。
「私たちにはある共通点があります。それは何でしょう??」MGさんは悩み、かなり私たちはヒントを出したのですが、(“愛しさ”“切なさ”“信じがたい悲しさ”というヒントでした。)とうとう分からず、答えを言いました。
「私たちはとても愛しい人を同じ病気で失いました…。」という答えでした。
だから、MASAYAさんは私たちにとってとても大切な人なのです。
私のとても大切な父が一生かけて愛した音楽を作り出した人であり、愛しい人を亡くした痛みを初めて分かち合えた人でもあり、那須に来てからも、私たちを本当の子供のようにかわいがり、見守り続けてくれた人であるのです。

J.Kさんとの出会い

 J.Kさんに初めて会ったのは、いつだったかは覚えていないのですが、いつも私たちのそばにいる人といえば、J.Kさんが浮かぶほどです。
 J.Kさんは、いつも私たちのことを気にかけてくれて、那須にいる間のお母さんのようでした。学校のこととかもよく聞かれましたし、勉強も教えてもらいました。
 妹たちが児童相談所に連れて行かれると聞いたときも、J.Kさんは必死で弁護士さんに相談し、何とか食い止めようと必死でした。連れて行かれてしまっても、今度は自分が乗り込むことで子供たちを連れて帰ろうと、私と共に車に飛び乗り、児童相談所に超特急で向かってくれた人でした。ホームオブハートの社長さんなんですが全くそんなの感じられない人で、とても子供が好きで犬が好きで、私たちのことをまるで本当のお母さんのようにとてもかわいがってくれました。
 この騒動でJ.Kさんも悪者として、Yyたちに訴えられてしまいましたが、そんなのとんでもない話で、私は、Yyたちこそが、こんなに温かい人たちと知っていながら訴えられるほど冷血な極悪人だと思います。

T.Mさんとの出会い

 T.Mさんに一番最初に出会ったのは、MASAYAさんと同じロサンゼルスのレコーディングツアーでした。それからしばらくして、屋久島に引っ越したときに、彼女が屋久島のホテルの支配人さんをやっていたのは、とてもビックリしました。
 彼女は、とても丁寧な人で、言葉使いやいろいろなお作法やピアノなどを教えてもらいました。ですが、その反面、豪快なところもあり、時には馬の手入れの方法やのこぎりの使い方やトンカチの使い方というのもありました。屋久島にいたときは、彼女と一緒にお買い物などに行くことが多かったです。彼女もJ.Kさんと同じくお菓子作りが好きで材料を買いに行くと、とても嬉しそうに買い込み、手が空いているときにはいろいろ作ってくれました。
会えば分かると思いますが、T.Mさんはどこからどう見てもいい人です。言葉遣いも仕草も丁寧な人です。彼女が悪人だなんてとんでもない話です。

そのほかにもホームオブハートのみんなにはいろいろな思い出があります。
私がこうしてパソコンを扱えるようになったのもスタッフの人に教えてもらったからですし、ピアノとかチェロとかもスタッフの人に教えてもらいました。毎日毎日、犬と遊んだり、インターネットでいろんなことを知ったり、スタッフのみんなに沢山のことを教えてもらったりと幸せな毎日でした。
私の夢はホームオブハートのスタッフになることです。

2004年11月1日 ブーちゃんマン

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