子供たちからの声

このサイトは、紀藤弁護士・HTPのメンバーたちのために、言われもない虐待の疑いをかけられた子供が、
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また、この事件のように法律を利用した事件について考えていくサイトです

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今回の事件の真相真理について

2008年12月8日
MASAYAさんの証人尋問を控え、TOSHIさんやMASAYAさんを応援してくださる皆様すべてに、お伝えしたい、知っていただきたい事実があり、このような文書を公開するにいたりました。
このHP上で、何度もお伝えしてきましたように、またToshiさん自身も伝えているように、今回の事件、1998年に話題になった「洗脳騒動」はすべてToshiさんの実のお兄さんと紀藤弁護士が結託して仕組まれた陰謀です。
そのことが根底にあるなか、そこにいろんな嘘のストーリーを絡めて、事の真髄には触れないように進められてきました。
しかし、嘘というのはいつしか明かされるものです。
10数年にわたって仕組まれてきた実態をできるかぎり全貌をここに明かしたいと思います。

■事の始まり
平成9年(1997年)4月にToshiさんがX JAPANを脱退したことで、沢山の人々は残念がりました。
それはファンの皆様だけではありません。
Toshiさんの利権を貪っていた人々も、これでは金にならないと、なんとかToshiをX JAPANに復帰させようと手ぐすねを引いていたのです。
物語はここから始まります

X JAPANを脱退したToshiさんと香さんは、途方に暮れながらも自分たちのやりたいことをやろうと、必死で生きていました。
Toshiさん自身がもつ、芸能人としての利権。それを巡ってのドロドロとした人間関係が絡んで、香さんは、Toshiさんと結婚して以来、Toshiさんの家族に陰湿なひどいいじめを受けていました。
2人ともあまりの苦しさにもう自殺してしまいたい、という思いでいっぱいだったそうです。

■ そんな2人の心の支えだったのは、平成8年(1996年)12月頃にToshiさんが日本へ帰国した際にたまたま購入した、一枚のCD「愛しき生命の詩」でした。
それが、ToshiさんがMASAYAさんのことを知る、きっかけでした。
MASAYAさんとのつながりは香さんが仕向けた、などという嘘が蔓延していますが、これは、後に勃発する洗脳事件によって仕立て上げられた、まったくの嘘です。
「愛しき生命の詩」のCDはToshiさん夫妻と共に、ロサンゼルスと日本の間を何度も渡った、と香さんが陳述書に記していました。それぐらい、大切にしていたそうです。

その後、ToshiさんがX JAPANを脱退したのが平成9年(1997年)4月、2ヶ月後の6月に屋久島のホテル「のいのいの小さな森の美術館ホテル」に滞在されました。 そして、MASAYAさん本人のコンサートに初めて行かれたのは同年8月のことだったそうです。
洗脳事件のあおりで、X JAPANを脱退したのはMASAYAのせい という誤解をしている人がいますが、まったくの嘘です。その図式は、まず成立しません。
同じく、香さんがMASAYAさんのもとに引き入れたのだ、とする図式も成立しません。
CDを見つけ、ホテルを予約し、スケジュールを組んだ、この一連の動きを行ったのはToshiさん本人です。「愛しき生命の詩」を購入した後に、香さんが買い物の折にTOSHIさんのためにMASAYAさんのCDを買って帰ろう、としたことはあります。しかし、きっかけになったのは誰でもないToshiさんなのです。
事実をきちんとたどれば、事件を引き起こした人たちが作り上げたストーリーが実際にはありえない作り話である、ということがこれでお分かりいただけますでしょうか。

■ その裏では、ToshiさんをX JAPANに復帰させようという、計画が練られていました。
その手綱を引いていたのが、TOSHIさんの実のお兄さん(以下、お兄さん、またはAさんと書きます。)、なのです。
当時、TOSHIさんのマネージメント会社(現在は株式会社トシオフィスとなり、社長はTOSHIさん本人になっています)の役員として切り盛りをしていたのがお兄さんでした。TOSHIさんが音楽の方向性をビジュアル系から癒し系へ方向転換したい、と主張するのを徹底的に拒否していた、と聞いています。その裏で、多額の背任横領が行われていました。
もちろん、Toshiさんはまったくそのことを知らされていませんでした。その横領されたお金の行き先は、現在明らかになっているのは、愛人への仕送りや、これからお話しする、Toshiさん・MASAYAさんに対する徹底的なマスコミパフォーマンスに利用されていたのです。
Toshiさんのお兄さんが社長になった経緯は、前に社長をしていた人物とも背任横領のトラブルがあり、「やはり信頼できるのは家族だ。」ということで、お兄さんが社長になった、ということなのです。信頼できる家族にも、裏切られたToshiさんの絶望は計り知れません。

平成9年(1997年)8月、初めてToshiさん夫妻がMASAYAさんのコンサートへ行き、そのまま「はじめまして」とご挨拶した、これがToshiさん夫妻とMASAYAさんが初めて出会った日の出来事です。
それから数回、TOSHIさんたちはMASAYAさんに会い、話をしていたそうですが、MASAYAさんの経営者としての体験談、その他沢山の話を聞いていくうちに、ますます彼の人柄、誠実さに惹かれ、信頼できる大人として、Toshiさん達は身の回りに起こっている利権争いのこと、幼い頃から実のお兄さんに虐待を受けていたことを彼に相談するようになっていったのです。

MASAYAさんと出会う前から、お兄さんに金銭的にも精神的にも支配され、金づるになってしまっているような関係を何とかしたいと思っていたTOSHIさんは、お兄さんに事務所の社長を辞めてもらって、Toshiさんが社長になって、独立をするという話を持ち掛けました。
しかし、お兄さんは抵抗しました。Toshiさんが説得しようとすればするほど、抵抗するという状態だったそうです。

MASAYAさんのところにも、Toshiさんのお兄さんがやってきて、TOSHIが癒し系に移行するのを助けるな、手を引けと、もし引かないんだったらあらゆるブラックジャーナリストを使い、徹底的に攻撃する。しかし、手を引くなら利権を渡す、何千万円か渡す、というようなことを詰め寄ってきたそうです。
MASAYAさんは、脅迫には応じられないと、「それはTOSHIさんが自分で決められることなので、本人に言って下さい」と答えたそうです。そんなことを私に言われては困ります。と。何度も、本当にいいのか、雑誌に出して叩くぞ、ということを言われても、それでもその要求をのむことはできなかったのです。

「TOSHIは広告塔」というフレーズは、この当時から散々報じられてきました。
しかし、実際の事実をご説明すると、TOSHIさんから、レコード会社を移籍したい、という申し出があっても、株式会社ホームオブハート(当時、レムリアアイランドレコードという名前でした)では、Toshiさんと契約することは大反対していたそうです。
MASAYAさんの癒し系の音楽と松田賀江さんの本質的な絵本やポエムを売っている会社に、それとは正反対のようなビジュアル系のヴォーカリストが入ったところで、マイナスイメージにはなっても、なんのメリットになるのでしょうか。
そこで、MASAYAさん達は他のレコード会社をToshiさんに紹介しました。
ToshiさんがMASAYAさんの曲でリリースした一番最初のシングル「君はいないか」(1998年7月23日発売)はテイチクエンタテイメントからリリースしています。もし、本当に広告塔にしたいのなら、最初から自分のところからリリースさせるはずでしょう。しかしそれはしなかった。答えは簡単です。ホームオブハートはToshiさんと契約する気はかけらもなかった、という事実があるのです。

■ お兄さんが言ったとおり、平成9年(1998年)9月初頭から、MASAYAさん、Toshiさんに対する執拗なマスコミバッシングが始まりました。
平成9年(1998年)9月7日、Toshiさんのお兄さんがMASAYAさんに言ったとおり、「週刊現代」には紀藤弁護士のコメントつきの記事が掲載されました。
また、翌週の9月14日の週刊現代でも、同じく紀藤弁護士のコメントつきで記事が掲載されました。
その翌日は、MASAYAさんのオーチャードホールでのコンサートです。無論、コンサート会場は大混乱です。当時のことを知っているホームオブハートのスタッフの方は、まさかここまで騒ぎになっているとは露知らず、いつもの通りコンサートの準備を整え、さぁ会場へ行こうとドアを開けた途端に、沢山のマスコミが待ち構えていた。あまりにも驚いたので、開きかけたドアをもう一度閉じて、「ええ〜!!どういうこと〜!!」と驚愕した、と話しています。

私も、父の容態が大丈夫ならこのコンサートに行こう、と思っていました。しかし、前月の末に父が亡くなり、この頃は父の葬儀等でとても忙しく、とうとう行けませんでした。もし、父が生きていて、この騒動に居合わせてしまったら、どんなに父は悲しむか、私には想像がつきません。MASAYAさんの音楽を愛し、尊敬していた父がこの騒動を知らずに逝ったことが、僅かな救いです。
仕掛けていたのは、Toshiさんのお兄さん、そして紀藤弁護士である、ということが今日では明らかになっています。

■Toshiさんを題材とした番組制作企画
嘘偽りの報道の下敷きには、Toshiさんを題材にした「番組作り」の計画がありました。

その当時、「S」という制作会社がありました。
そして、Aテレビの「○○○○○○」というドキュメンタリー番組で、Toshiさんを題材とした、番組の企画が立ち上がっていました。
この企画を立ち上げたのが、Toshiさんのもうひとりのお兄さんと制作会社「S」のプロデューサーの「K氏」です。
「洗脳されたToshiの洗脳を解き、X JAPANに復活させ、武道館での復活コンサートを行い、最後はYOSHIKIと抱き合って終わる。」というストーリー上で、Toshiさんの家族が奮闘する、という、いかにも話題になりそうな企画でした。
嫌がるToshiさんの意向は完全無視し、「X JAPAN」に復帰させれば、莫大な利権になるだろうという、お金目当ての構図がそこにはありました。
当時はオウム真理教の事件や、貴乃花関の洗脳事件が話題となっていたことから、マスコミや世間が飛びつきやすいネタとして「Toshiは洗脳されている」という筋書きになっていました。「ToshiはMASAYAに洗脳された」という嘘を徹底的にマスコミで放映したのです。
皆さんの記憶に刻まれている、あの洗脳事件の報道はすべてToshiをX JAPANに復活させる番組作りのために造られたものでした。
うわべの上では、感動的なドキュメンタリーを装っていますが、その制作の現場では真に卑劣な、非情極まりない行為が実際に行われていました。
その話は、また後にお話したいと思います。

■ 報道を受けて、Toshiさんは、さまざまなメディアに出演し、必死で真実を伝えました。香さんといっしょにスタジオからスタジオを駆け巡り、出れる番組にはすべて出演したそうです。そんなToshiさん達を支えたのはToshiさんの友人達であり、MASAYAさん達でした。
しかし、「Toshiは精神病である」として、いくらToshiさんが話しても、所詮洗脳された人である、という姑息なレッテルづけの為に、出れば出るほど、そのイメージを強めてしまう、という悪循環にしかならなかったのです。
Toshiさんを拉致・監禁しようという計画までも練られていました。拘束するためのマンションも都内の数箇所に用意されていました。逃げ出すことができないように、外から施錠することができて、高層階にある部屋が準備されていました。
そして、Toshiさんを拉致するために、怪しげな霊感探偵などという人に会社のお金を勝手に数千万円も払って運転手をさせ、Toshiさんがテレビの収録を終えて出てくるところを狙って、待ち伏せていたのです。

■ Toshiさん自宅、株式会社ホームオブハートからは、お兄さんの関係者が仕掛けたと思われる盗聴器が発見されました。
Toshiさんの自宅では外壁の電話の変電盤から発見され、世田谷警察署が現認し、ホームオブハートは、外の電柱の上の変電盤の中からボールペン型の盗聴器が発見され麻布警察署が確認したそうです。
それで盗聴した内容を都合のいいようなストーリーに仕立て上げ、週刊誌が掲載したそうです。

■ Toshiさんの事務所の鍵などを持ったまま姿を消していたお兄さんからやっと鍵を奪い返して、経理書類などを専門の方が徹底的に調べた結果、背任横領の証拠が明らかとなり、その資料を一部マスコミに見せると、急に終息していったそうです。
その当時、Toshiさんに近づいてきたのが、HTPのYy氏です。

■ 2003年12月末ごろ
那須高原の松田賀江さんの美術館(現在は閉鎖しています)にて、MASAYAさんのコンサートが行われました。
大規模なコンサートではなく、ホームコンサートというものでお客様は数十名程度、というこじんまりとしたものです。
このコンサートに、先述したAテレビ「○○○○○○」の記者がスパイとして忍び込んでいたことが後になってわかりました。
コンサート終了後、MEちゃんと私の妹は美術館中を駆け回って遊んでいました。
よく小さい子が四つんばいになって犬とか猫とかの真似をしますが、この頃MEちゃんはこどもちゃれんじの「しまじろうくん」が大好きで、トラの真似をして遊んでいました。
当時MEちゃんは7歳、私の妹は11歳でした。
妹はMEちゃんを自分の妹のようにとてもかわいがっていました。
その光景を一人の茶髪の女性が眺めていましたが、2人は気にせず遊んでいました。MEちゃんはその女性に話しかけたりもしていたそうです。
あの日の光景は、未だにありありと目に浮かびます。
ごく普通の、MASAYAさんのコンサートを見たくて見に来たお客さんだと思っていたのに、その彼女のバッグにカメラが仕込まれていて隠し撮りをされているとは…夢にも思いませんでした。
この女性は、「でっち上げ番組」のための準備したスパイでした。
この時の映像は、私達が児童相談所に保護された後のワイドショーで放映されました。
後から私は妹と一緒にDVDに録画したものを観ましたが、妹が隠し撮りをされて、おどろおどろしいBGMとナレーションつきで放映された、この悔しさ・つらさは一生忘れられません。妹もこの日のことを鮮明に覚えていましたから、相当にショックを受けていました。

■ 平成16年(2004年)3月頃に長野県野沢温泉にて、旅館でのコンサートが企画され、そこにToshiさんが出演しましたが、これも、その「S」という制作会社が企画したでっち上げ番組制作のためのものであり、ToshiさんのマネージャーのNさんとのやり取りも収録するなど、用意周到に悪質なたくらみが進められていました。
コンサート当日はさまざまな場所に隠しカメラが設置され、隠し撮りがなされました。
平成16年3月とは、あの児童虐待騒動の直前です。
洗脳騒動を背景とした、輩たちのたくらみは6年の時を経てもまだ続いたのです。
ここで少し、遡って説明します。

■ もう一度説明すると、制作会社のプロデューサー「K氏」が立ち上げたToshiさんを題材にしたでっち上げ番組の企画があり、その企画にのったのがToshiさんの家族の人達です。両者とも、ToshiがX JAPANに復活すれば、よいビジネスになる、という目的から手を組んだわけです。
また、そこに「脱会させ屋」のK.a氏という人物がいますが、要するに番組制作上で配役としてそういう人間が登場すれば面白くなりますし、この人自身の得にもなるわけですから(この人自身もToshiさんのお母さんがお金を支払ったそうです)、数々の手段を駆使し、Toshiさん本人にも何食わぬ顔を装って接触しています。
2004年3月の長野コンサートで、K.a氏は偽名を使ってToshiさんに近づき「Toward the way」を聴いて感動した、というような話をしていたわけです。
Toshiさんはその「K.a氏」その人が紀藤弁護士やAテレビのプロデューサー「K氏」とつながっているなんて知りませんから、長野コンサートの終わった後も、連絡を取り合っていました。
そして、紀藤弁護士。1998年の因縁から再度挑んできた!という認識が一般の皆様にはあると思いますが、実際には1998年から継続して一連の裏の動きに登場していたのです。
2004年の正月には、Toshiさんの実家にお兄さんの接待で紀藤弁護士が子供さんを連れて立ち寄った、ということがわかっています。

■ 番組制作のために、Toshiさん・香さんの拉致・監禁までも計画されていたことは、先述したとおりですが、ビジネスのための卑劣な番組作りはそれだけにとどまりません。
Toshiさんのお父さんは病気で入院していました。しゃべることができない状態だったようです。それをいいことに、お父さんの病室での様子、そしてお父さんの告別式まで、カメラの密着取材が入り、撮影が行われたのです。
人生の最期を、息子を陥れるための演出として利用されたお父さんの無念を思うと、このような行為を平然と行えた人間の神経を疑います。また、どうしてこのことが公に明かされないのか、という悔しさが募ります。

■児童虐待報道
それでは、話を2004年に戻します。
4月6日、Toshiさんのもとに突然マスコミが駆けつけました。
取材班は一斉にToshiさんを取り囲み、「Toshiさん!虐待についてどう思いますか?!」と叫びながらマイクを向けたのです。
Toshiさんは『"洗脳"なら前に騒がれたけど、"虐待"ってどういうこと???』 と困惑しました。
マスコミはわーわーと騒ぎ、その様子をカメラに収めていました。
この様子をToshiさんは「すでに番組の内容が決まっていて、こういう場面を作るための演出をしているようだった」と回想しています。

同日に、私の母が勤める、株式会社ホームオブハートのホテル「のいのいの小さな森の美術館ホテル」にも、お客を装ってAテレビの人間が宿泊していました。 当日の朝、予約をしてその日の昼過ぎには到着するという、やけに準備が整った宿泊客を、「何かおかしい」と思いながらも普段通りに接客したそうです。 「オハラヒロコ」という偽名で宿泊した、その人は母に対し、「子供さんはどうされているのですか?」というような、母のプライベートに関わる質問をしていました。
母は母で普通に答えていたそうですが、 執拗に母にかかわりたがる、彼女の行動がどうもおかしい、と気づいた母は 、翌日からは接客を他のスタッフの人に頼みました。
その数時間後、母のもとに「子供達が連れて行かれた、すぐに那須に帰ってきて!」という連絡が入りました。
しかし、その翌日(4月8日)、那須へ向かう母を屋久島空港で待ち構えていたのは「オハラヒロコ」その人だったのです。
この項については、私の陳述書、母の陳述書、妹の陳述書に詳しく書きましたので、そちらを参照ください。

■ 突然の報道に、Toshiさんは「K.a」氏に相談を持ちかけました。K.a氏はウィークリーマンションを手配するから、と答え、Toshiさんは準備されたマンションを転々としながら過ごしていたそうです。
何度かホテルで「K.a」氏と話をしたそうです。また、Toshiさんの上のお兄さんとも、K.a氏と一緒に会った、K.a氏と上のお兄さんは初めて会ったような素振りを見せていたが、実際は嘘だった、ということが明らかになっています。
まさに、思惑通りだったのです。いままでそうだったように、準備されていたマンションには盗聴器・盗撮器が仕掛けられていただろう、とToshiさんは推測しています。

■ 2004年8月13日〜16日
Toshiさんの故郷の館山市で行われたコンサートも、Aテレビの人間に仕組まれたコンサートだったことがわかりました。Toshiさんの同級生や先生、地元の沢山の方々に囲まれて行われたそのコンサートは一見してとても心温まるコンサートだったかも知れません。
しかし、その裏では用意周到な、でっち上げ番組作りのための準備が行われていました。
4月の時点でK.a氏はToshiさんに「家族や友達に協力してもらい、館山でコンサートを行ったらいい。」という話をしていました。HTPのYy氏の妨害行為でコンサートが次々とキャンセルしていた状況ですから、当然ToshiさんはOKしました。
この時点で、Toshiさんは文字通り嵌められていたのです。

コンサート当日は、大きな機材車が来ていました。不思議に思うToshiさんには、K.a氏が あれは自分のキャンピングカーだと言っていたそうです。
その他カメラクルーも3〜4人来ていて、コンサートの最中だけでなく、控え室やプライベートまで撮り続けたり、集まったお客様のことをなめるように映す、あまりにいやらしい撮り方をしていたそうです。あまりにひどいため、Toshiさんはそうやって撮影をするのはやめてくれ、と怒り、初めて違和感を感じたそうです。

すでに亡くなられたToshiさんのお父さんのお墓や、実家には隠しカメラが仕込まれていました。
実家にてお父さんに線香を上げる様子、お墓参りをする様子、何もかもが隠し撮りをされています。

■ 2004年当時は、まさかここまで、用意周到な計画に乗っ取り、進められているとは思いもしませんでした。
その後、沢山の人達から、事の真相を知らされ、現在では私達が常に抱いていた違和感の全貌が明らかになりました。

「やらせ」報道とは、これまでにも沢山のTV局で問題とされ、明らかになってきましたが、それらを遥かに超える、恐ろしい利権争いと、国家機関を脅して行われた数々の事柄が、なぜ、いまだに公に明らかにならないのか、と私は憤りを禁じ得ません。

だからと言って、企画を作ったAテレビ局が悪い、ということではありません。
悪いのは本当にごく一部の人間、なのです。彼らこそが黒幕であり、真に裁かれるべき人間です。



END

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最終更新:12月18日

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