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第二 私達姉妹の身に降りかかったこと
1.私の上の妹(当時12才)、下の妹(当時1才)は、突然知らない大人たちに拉致同然に連れ去られました。私の母は、仕事の関係で鹿児島県屋久島にこそおりましたが、私達姉妹の父代わりで、家族同然に思っていた倉渕透さん(以下、「MASAYA」さんと書きます。私の父がスキルス胃ガンで亡くなってからの、私たちの父代わりでした。)、私たちの大好きなホームオブハートの社長のぶたママさんの許から、無理やり引き離されました。
2.「一時保護所」では、誰一人として私たちの事を知っている人などおらず、頼れる人もない、完全に外界から遮断された生活を過ごしました。窓やドアには開閉センサーがついていて、勝手に開けるとそれを逃亡として報せます。生活の殆どを施設内で、監視の下に暮らさざるを得ない監禁のような生活を、何ヶ月間にもわたり余儀なくされたのです。悪夢のような生活から母のもとに戻っても、児童相談所による監視、制限は続きました。
このような経験をした者としては、またいつなんどき、紀藤弁護士による申立による「通告」がなされ、自由が奪われるか、この平和で自由だと思っていた日本で起きたことへの恐怖感から、以前のように心から幸せを感じるような生活をすることは出来なくなりました。
胸の悪くなるようなことに、潔白が証明された筈であるのに、今も尚、この紀藤弁護士は、私たち子供の味方だ、などという欺瞞の態度を続けています。
あの過ちを、私たちの誰に対しても、一度も謝ろうとすらしない人間が、平然と私たちにメッセージを送るフリをして誤魔化そうとしている。そんなことでしかありません。
3.反省もしなければ、人の心の痛みを何とも思わないこの弁護士に対して、多くの人々から「虐待された子供」、「虐待した親」と見られ続けた屈辱、そして長期間の精神的な虐待により、この事件の最大の被害者である私たちからすれば、未だに正義漢ぶった紀藤弁護士こそが最大の加害者でしかありません。
このような人間、人をいたぶり、貶し、間違いがわかっても、別のことを言い募って誤魔化そうとするばかりで、何とも思わないその感性。
紀藤弁護士、そして、山口貴士弁護士、あなたたちのような、自分にとって、自分の依頼者にとって都合の悪いことは、自分たちが正義だとばかり大声を出して、何でもいい絡めてしまうような者が、救世主面をしていることだけは、私は許せません。
一方、番組作りになれば、コメンテーターと名付けられた者に、弁護士の与えた一方的な情報と、身勝手な録画から、言いたい放題のことを言わせる、報道によるリンチとしか言えない、本当に白痴のような番組が横行しました。これは、一時保護所から出ることができてから自分の目で確認し、愕然としたことでした。
これが日本という国だったのか。