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第三 その日から
1.平成16年4月7日、これが事件の起きた日です。
父との死別や、学校での虐めなど、…沢山の壁を乗り越えて、心身ともに安定してやっと手に入れた、豊かな自然に囲まれた中での生活、正しいことが何なのか、自分で自発的に学び、考える、そんな自由な暮らしをしてきた合計4人の子供(私、ブーちゃんマン、私の上の妹、シャーマンさん、MEさん)と、2人の幼児(私の妹、T君)の自由は、瞬く間に奪われました。
2.裁判官の皆様、どうか自分の身に起こったことと置き換えて、この私の陳述書を読んでください。私からの切なる願いです。
もし、お子様がいらっしゃるのならば、日々平穏に幸せを感じて暮らしていたわが子が、突然身に覚えのない通告により連れ去られたとしたらどうだろうか、とお考えをいただきたいと思います。
3.子供達が、虐められたり虐めたり、蹴落としあう、信じ合わない、終いには悩んで自殺してしまう、そんな戦場のような学校での戦いに、たまたま巻き込まれた私は心身共に疲れ果て、自らの意思で学校に行かないことを選びました。
私の妹や、シャーマンさんにしても、学校でのストレス、自分の思いや違和感を押し殺しての表面的な生活、喧嘩や競争に疲れ果てて、悩んだ末に自ら、学校に行けなくなりました。
私達は、最後、自分で学校には行かないことを選択しました。
4. 学校に行こうとしない私と妹のことで、母が何よりも心配していたのは、自分が働いている間の私たちの安全です。虐待とは正反対です。
そして母は子供を蔑ろにしたり、逆に子供を教育から遠ざけ軽んじようとしたり、私たちの労働力を無償で誰かに提供させるなどのことからも最も遠い人間です。
また、自分の考えを押しつけられたこともありません。
寧ろ、私と妹が虐めに会っている間、母はただただ、「学校へ行かなければならない」、そういう状態を求めて、私たちにその考えを押しつけていました。子供の精神が危機のとき、そうした態度自体が虐待であり、時に子供の自殺を招いてきたことを、おわかり下さい。
子供の気持ち、子供の教育のことなど、何も紀藤なる弁護士がわかってなど居ない、考えているのは依頼者の、そしてただただ自分の利益と、勝つことでしかない、そのための道にあるものは全て、自分の主張する人権の名のもとに、全て刈り取っていくことでしかない。これは私がこれまでに彼が私たちに対して行ってきたことの総括です。たった一人の子供、たった何人かの子供の生活、気持ちを踏みにじって平気な人に、世の中の何を、どのようにできるというのですか?
一時保護所、児童相談所には最終的に私たちのしてきた生活の全て、誤って伝えられていたセルフトレーニングのことを受け止めて貰って初めて、理解してもらえたと思います。
5.MASAYAさん、ぶたママさんたちは、私たち親子の心の状況を知って、母や私たちとも何度も何度も議論をして、学校に行かない分、母のもとで安全に暮らせ、教育の面でも劣ることのないように、そして本当に正しいと自分で思えることを、自分の力で学べるよう、好きなところで暮らすことを提案してくれました。誤解されないように申し上げておきます。
どんな親でも、多分私も、子供を持てば同じようにすると思いますが、母やMASAYAさん、ぶたママさんたちも、折々に私たちが学校に通う道を選択することが出来るように、努力をしてくれていました。
そんな気持ちになっている私たちですから、このことは痛いほどによくわかるのです。
しかし、学校にはもう行きたくないという私たちの気持ちを感じているので、無理やり学校に行かせるようなことはしないでくれている、ただそれだけのことだったのです。「なぁ、学校はいいのか?」とは、MASAYAさんからの時折の声掛けです。
6.私たちは沢山のスタッフの方々に愛され、温かく見守られながら、まるで家族のように暮らしてきました。
そんな安全な暮らしを脅かされ、紀藤弁護士達の手により、大切な人達のもとから引き離されました。沢山つらい思いをし、心に沢山の傷を持ちました。
人のことを何も知らないで批判すること、言及することはいけない、そのことも本当に実体験として学びました。
だから、人の言うことによってではなく、自分で何をされたのか、きちんと自分で調べてから、そしてそれが紀藤とYyの仕業であるなら、この人たちを、そしてもって多くの人が、平気で私に何かをしようとしていたのなら、そしてそれが事実ではないことを知っていた筈と私が思える相手なら、きちんとそれらの人に責任を取って貰いたい。そう思いたちました。
7.今はこうして、不良になることもなく、そして何度も頭をよぎったことのある自殺をすることもなく、明るく、幸せに暮らしていられるのは、MASAYAさんやぶたママさん、沢山のスタッフの方のおかげでした。
こんなに辛い時期を過ごしながらも、曲がらないですんだのは、最終的にこの事件の真相をわかってくださった、児童相談所の方、調べながらも励まして下さった黒磯警察署の方々です。
この、弁護士の資格なんかもっていない方々がわかってくれたこと、人によっては元気づけて下さったことに、どれほど勇気づけられたでしょう。このことを、裁判官の皆様には、思い起こしていただきたいのです。
私たちを、私たちの親を、私たちの親が勤めていたところの人たちを、直接対話の形で調べた方々には、おわかりを頂いたのです。
私達子供は、自分たちが、「保護」されたとは、決して思っていません。逆に、私達は紀藤弁護士達に「人質」にされ、その卑怯な裁判で「利用」されたと思っています。私たちはただ「拉致」され、「監禁」され、「口封じ」をされ、彼の事件処理でちょうどよい時期に、大々的に取り上げられ、全国放送をされた。この事件の最大の被害者であると、思っています。
8. 今回の事件で、私達が体験した全ての真実、そうです、紀藤弁護士達に「拉致」され、「監禁」され、「口封じ」されて、「利用」された全ての事実をここに記します。これはとても長い話になります。
今から3年前の4月7日、紀藤弁護士らの手によって「拉致」された私達の身に何が起こったのか、読みにくいところ、わかりにくいところもあるかもしれません。でも、精一杯書きました。