子供たちからの声

このサイトは、紀藤弁護士・HTPのメンバーたちのために、言われもない虐待の疑いをかけられた子供が、
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また、この事件のように法律を利用した事件について考えていくサイトです

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第4-1

【保護と言う名の誘拐】

1 「平成16年4月7日」この日は、私達にとって一生忘れられない日。この日から2ヶ月間の保護所生活が始まったのです。 保護された当時、私は小学6年生でした。私は家にいて、お母さんは、会社に行く前に、いつもの「誰かが来ても、覗き窓で覗いて、知らない人だったら出ちゃだめよ」と言って、出かけていきました。

2 この日は、なんだか恐ろしい事が起きるようなそんな予感がしていてずっと胸がドキドキしていました。私はいつも通りに過ごしていましたが、ドキドキしているのは変わりませんでした。お昼近くになったときに、インターフォンがなり、私は「ドキッ」としました。私は、「誰だろう…?」と、思いドアに近づいて、覗き窓で覗いてみました。

 ドアの向こうには信じられない光景が広がっていました。ドアの横に警察官がこちらに背を向けて両側に立っていて、ドアの前に黒くて大きなかばんを持っている大きな男の人と女の人が立っていた』のです。私は「えっ!?ウソでしょう…?」「これはお隣さんのところに来たんだ、きっと部屋を間違えちゃったんだ」と怖くて怖くてそう思い込むしか、ありません。それぐらい、尋常でない雰囲気の人達でした。「いや、まさか部屋を間違えるなんて事はないだろう」と言う考えが出てきては、「でも、間違えている可能性だって、もしかしたらあるかもしれない…」と言う考えが交互に出てきて、複雑な気持ちでした。私は、『できるなら、間違いであって欲しい』そう思いたかったけど、『間違えている訳がない』と言う気持ちのほうが強かった。「こんなドアの両側に警官がいるのに、部屋を間違えるわけがないだろうな。何の用事なのだろう。」ずっとこのことばかり考えていて、すっかり動揺してしまい、気晴らしに絵を書こうとしても指先が震えて、とても絵を書けるような状態ではありませんでした。それくらい私には、本当に怖かったです。家には、私一人しかいなかったし、まるで、連れさられてしまいそうな、2度と帰って来れなくなるような、そんな予感がして、怖くて、心細かった。「お母さん助けて!!」と心の中で、叫んでいました。お母さんに私は「一人でいるときに誰かが尋ねて来ても、覗き窓で覗いてみて、知らない人だったら絶対に出ちゃだめよ。何かあったら必ず電話ちょうだい。」と言われていたから、最初は無視をしました。でも、彼らはしつこくインターフォンを押し続け、私はますます怖くなり、どうすればいいのか分からなくなりました。そこで、私の携帯電話からお母さんに電話をかけました。「外に変な人がいるんだけど、どうしたらいいの」とお母さんに言うと、「今、オフィスにも人が来ていて、本当はそっちに行きたいんだけど、行くことが出来ないの。一体何なのかわかるまで、そこでじっとしていて。」と言われました。

3 電話を切って、暫く待つとまたインターフォンが鳴りました。あの人たちはまだ玄関にいるようです。ちょうどそこにお母さんから電話がかかってきました。私は藁にもすがる思いで通話ボタンを押すと、お母さんは何か知っていたのか、「シャーマンちゃん、今、外に誰かいる?」と、聞かれたので、今までの不安と思いが爆発するように、「いるよ、だけどどうすればいいの?ここに来て、怖いよ、助けて、ここに来て、助けてよ、お母さん」私は、ビックリするぐらい早口で喋っていました。お母さんはしばらく黙った後、続けました。「…シャーマンちゃん大丈夫だよ。心配しなくてもいいよ。シャーマンちゃんいい?『児童相談所』って言う人が外に来ているの。その人達を中に入れてあげてね。」と、言っていました。私はその言葉を聞いて、「どうして?」と聞きました。お母さんは「シャーマンちゃんに話があるんだよ」と言っていました。ちょうどチャイムが鳴ったので、私は恐る恐るドアの鍵を外して、ドアを開けました。開けると男の人と女の人が近づいてきて、「シャーマンちゃんだよね?」と聞かれ、「児童相談所のNという者なんだけど、シャーマンちゃんと話がしたいんだけど、中に入ってもいいかな?」と聞かれたので、「どうぞ」と言って、児童相談所の人を中に入れました。後に、この女の人は、私に担当の人になりました。中に入ってすぐに児童相談所の人は私に変な質問をしました。「シャーマンちゃんって、ご飯はちゃんともらっているの?」と言うのです。私は「へっ??何言ってるんだろう?」とあっけに取られて「えっ?何のことですか?」と聞きなおしました。『シャーマンちゃんって、ごはんはちゃんともらっているの?』という質問の意味を理解するのに、時間がかかりました。当たり前のことなので、「ちゃんともらってるけど?」と、答えました。ご飯のことだけでなく、児童相談所の人たちの質問は、私にとって当たり前の、実にくだらない質問ばかりでした。「外には出られるの?」、「部屋にいつもいるの?」、「勉強はしているの?」という当たり前みたいな質問ばかりでした。

4 私は最近見たニュースを思い出しました。この当時、ワイドショーやニュース番組で「虐待がどうのこうの」とか、放送されていましたから、『ああ、これはテレビに出てきたりする『虐待』とかって言うんだな。もしかして、この人達は、私が虐待されてるって信じてるんだ』と思いました。『この人たちは私への質問が終わったら帰るんだろう』と思っていたのですが、しばらくすると別の男の人が入ってきて、私の部屋の中のいたるところをカメラで取り始めました。こういうのはドラマでしか、見たことなかったから、なんだか怖くなりました。心臓が張り裂けそうでしたが、私はただ呆然と見ているしかなく、「早く帰らないかなぁ」と思ったのですが、2人はなかなか帰ってくれません。どんどん不安が募る一方でした。しばらくすると、カメラを持っていた男の人は出て行ったのですが、児童相談所の男の人と女の人はずっとそばにいました。2人は突然「一時保護所(以下、保護所といいます)というところがあるんだけどそこに行ってみない?」と言うので、私は「行かない。」と答えました。すると女の人はびっくりした顔をして「どうして?お友達がたくさんいるよ」とか「楽しいよ。それに、行くのは一週間だけだから」と言ってきましたが、それでも私は拒否しました。「どうしてそんな怪しいところに1週間も行くんだ???一体この人たちは何のつもりで私に会いに来たんだ??」と、ますます、「早く帰って欲しい。」と心で願いました。

5 ちょうどそこで私の携帯にお母さんから電話が来ました。「シャーマン、児童相談所の言う通りにしてちょうだい」と言われ、お母さんまでそんなことを言うの!?とその言葉にびっくりしましたが、今は、そんなことを言っている場合じゃなかったので、お母さんの言った通り、私は「行く」と言いました。児童相談所の人たちは私の意見が突然変わり、ビックリしている様子でしたが、もとから連れていく決まりだったのか、すんなり決まりました。私は「どうしても行かなくてはいけないんだろうか…」と悲しくなりました。そして、「そろそろ保護所に行こうか」と言われ、私はもっと悲しくなりました。そして、私はタクシーに乗せられて、しばらく待っているとT君とTmamaさん、私の担当だと名乗る児童相談所の女の人とT君の担当だという児童相談所の女の人が乗って、タクシーは出発しました。しばらく走って大田原市にある日赤病院の前の、道路を挟んだ駐車場にタクシーは止まり、T君とT君のお母さん、そしてT君の担当の人は降りていきました。しばらく私は担当の人とタクシーの中で待っていると病院の目の前にタクシーが止まりタクシーの中から、T君より小さい赤ちゃんが女の人に抱かれて出てきました。それだけなら、別になんとも無い光景ですが、私にはどうしてもその赤ちゃんが気になりました。赤ちゃんが乗っていたタクシーも、何だか気になるというか、知っている人がいそうな予感がなぜかしたのでどうしても気になり、どうにかして近くに行きたかったので、「トイレに行きたい」と言って、私の担当だという児童相談所の人(この人はNさんという人でした。以下、Nさんと書きます。)と一緒にタクシーを降り、病院の方へ歩いて行きました。病院の目の前に止まっているタクシーに走って近づくと、妹1ちゃん(当時12歳)とMEちゃん(当時8歳)が乗っていて、「えぇ!どうして妹1ちゃんとMEちゃんまでここにいるの?」と思いました。さっき病院へ入っていった赤ちゃんは、妹1ちゃんが可愛がっていた妹のブーちゃんの下の妹さん(当時1歳)だったんだな。ということがわかりました。

6 この時点では、私はこの事件のことや、私と同じように、妹1ちゃんのところにも、マスコミ・児童相談所が来ていたことは、全く知りません。しかし、ただ単にブーちゃんの下の妹さんの具合が悪くて日赤病院に来ているわけじゃないことは、私の目にも明らかにわかりました。だって、ブーちゃんの下の妹さんを抱いていた女性は妹1ちゃんのお母さんではありませんでした。それこそ、T君と同じように、人さらいが連れ去るかのように、足早に連れて行かれてましたから。それに、妹1ちゃんとMEちゃんの隣には私のことを連れ出した、児童相談所の人たちと、似たような女性が座っていました。だから、ひょっとして、妹1ちゃんとMEちゃんも、私と同じような目に遭っているんじゃないか?と思いました。私が「バンバンバン」と手のひらでタクシーの窓を叩くと妹1ちゃんとMEちゃんは私に気づいてくれ、窓際にいた、MEちゃんとガラス越しに手を合わせました。透明の見えない壁が、私とMEちゃんと妹1ちゃんをさえぎっているみたいでとても悲しかったです。本当は、ドアを開けてこう言いたかった。「一体どうしたの?一体何が起こっているの?!」と。しかし、奥には知らない女の人が座っています。私のことも、Nさんが見張っています。だから、私はどうしてもMEちゃんと手を合わせることが精一杯でした。私は妹1ちゃん、MEちゃんに手を振って別れを告げ、Nさんと一緒に病院のトイレに向かい、タクシーに戻りました。すると、私達より先に、妹1ちゃんとMEちゃんの乗ったタクシーが走り去っていきました。この時がMEちゃんとの最後でした。その後、私は一時保護所に直行で向かいました。タクシーの中で、Nさんと、タクシーのおじさんと携帯電話の話、どんな絵を書いているのか、どんな遊びをしているかなど、いろんな話をしながら保護所に向かいました。

第4-2へつづく

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最終更新:12月18日

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