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第1-4
10 私が生まれて4ヶ月か6ヶ月後の検診の時に、私は、足を異常に突っ張る癖がある、『筋緊張症候群』だという診断を受け、お母さんはその場で福岡日赤病院の紹介状を渡され、指定された日に病院にいくよう言われました。
「運動機能が順調に行かない時、血中にある、ある成分の比率が上がるので、早期に治療をすれば、何の問題もなく健康児として生活できる。」とその先生は言っていたそうです。
「この子は健康だと思っていたから、頭が真っ白になった。」と、このときのことをお母さんは言っていました。
指定された病院に行くと、検査中は私とお母さんは離れ離れにされて、びっくりしたお母さんは、「どうしてそんなことをするのですか?」と聞くと、担当の看護婦さんは「この方がお互いにいい。お母さんが見たらショックが大きいかもしれないから。」と答えたそうです。
そんな看護婦さんの答えに、「一体、シャーマンに何をするのだろう。」と心配に思ったそうです。
その時、ちょうどカーテンの隙間から、タオルでぐるぐる巻きにされた私の姿が見えて、看護婦さんが二人がかりになって血液検査をしている光景だったそうです。
お母さんは私の泣き叫ぶ声に胸が張り裂けそうで、今すぐ奪って帰りたい気持ちでいっぱいになり・・・・あまりにも可哀そうで、会えるまでずっと泣いていたそうです。
血液検査の後は、私の足を持って逆さ吊りにしたり、俯せにして首のすわりや、足の使い方の反応を見たりしていたようで、看護婦さんが出入りするたびに、カーテンの隙間から何をやっているかが見え、とにかく信じられない光景ばかりだったと言っていました。
診察が終わると、今度は「毎月病院に来るように。3歳になるまでは必ず通ってください。そのあとは経過を見ながら対処しましょう。」と言われたそうです。
まだ小さい私に、毎月こんな思いをさせるなんて、とお母さんはショックを受けたそうです。
私のお母さんはこんなお母さんです。
お父さんが死んでも、頑張って私や弟を育ててくれています。
お母さんは私がそれで直るならと、この子の足が良くなるのなら、とやむなく通っていたそうです。
お医者さんの言うとおりに毎月通い、この検査は私が3歳になって終わりました。
お母さんは、検査が終わったとき、「ああ、やっと終わった。」ととりあえず安心したそうです。
なぜなら、この後も何が起こるかわからないし、病弱なお父さんの体質を継いでいるかも知れないからだそうです。
11 私はまったく覚えてはいませんが、お母さんの話だと2〜3歳頃から、だんだん活発になり、言葉をしゃべるようになるにつれて、夜中に突然、まるで怖い夢を見ているように「お母さん!来ないで!来ないで!」と部屋中を何時間も逃げ回っていたそうです。
私自身は、今思い出そうとしても、何となくそんな事があったような無かったような感じで、まったく覚えていません。
お母さんは、何が起こっているのか分からず、「シャーマン、大丈夫だよ。大丈夫だよ。怖くないよ。」と抱っこしようとしても捕まえることができず、やっと捕まえても、目の焦点は合ってなくて、お母さんの身体を透かしてまるで向こうの壁をみているようだったそうで、何かの病気なのかしら、シャーマンに何か怖い思いをさせてしまったかしら・・・と思い悩んでいたそうです。
そんな夜が毎日、とか何日おきにやってきたそうで、お母さんはどうしたものかとすっかり困り果てていたそうです。
私の名前をつけてくれた、姓名判断の人の言ったとおり、この子は本当に敏感な子だと、つくづく痛感し、ますます「この子は大切に育てなきゃ」と心に強く決めたそうです。