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第五-9
33. 私が不登校になった始まりは、平成9年の夏(当時小学2年生)に、県の絵のコンクールで私が賞をとったことがそもそもの原因です。
事の流れは、その年、春の遠足で何千年も生きていると言われている大きな杉の木を見に行き、後日、図工の授業でその杉の木をテーマに絵を描きました。
そして、夏休みの始まる前に、担任の先生からコンクールに私の絵を出していたこと、「特賞」を取ったことを告げられました。
夏休みの真っ最中に、そのコンクールの表彰式がありました。私は、母と担任の先生、妹1と一緒に出向き、表彰状を頂いて帰りました。
ところが、夏休みが終わり、久々に学校に行ったら、担任の先生から「コンクールでもらった表彰状を貸してほしい。」と言われました。
私が通っていた小学校では、毎月1回「全校朝会」という集まりがありましたが、その中の1コーナーにコンクールなどで受賞された人に、校長先生から表彰状を渡す、というものがありました。
そのときは私が朝会での表彰を受けるのに、一度表彰状を先生に預けることになったのです。
こうした表彰も普段ならは、何人かはいるのですが、そのときは、あいにく私以外の受賞者はいませんでした。逆恨みに思う人がいたのでしょうか。
実際、妹の友人のお兄ちゃんが、「あいつ、一人で受かっててムカつく。」とその子のお母さんに言っていたみたいだと母から聞きました。
9月の終わり頃の日です。授業が終わり、帰ろうとしたところ、下駄箱にあるはずの靴が無くなっていました。
何かの手違い、誰かの間違いで他の場所にあるんだろうと、あちこち探し回りました。でもどこにもありません。担任の先生にもお願いして、他の何人かの先生も一緒に探してくれましたが、なかなか見つからず、グラウンドに放り出されていたのをついに見つけました。ところが、それも靴紐が抜き取られている状態で、それでは履くことができません。今度は靴紐を探しました。やっと両方の靴紐を見つけた時は、もう夕方5時を回っていました。
先生は、「見つかって本当によかったね。もうこんな時間だから、寄り道しないで、早く帰りなさい。」と言って、職員室に帰っていかれました。
私は、ホッとしたのも束の間、靴紐をどうやって靴に通すのか、全くわかりません。
その日、取り敢えず脱げてしまわない程度に縛り、泣きながら家に帰りました。
この日の出来事を家に帰って母や父に言ったかどうかは、覚えていません。でもこの日始まった嫌がらせは、止まることなく、続きました。
大体は同じパターンでしたが、次の標的は体操着でした。体操着は廊下に置いてありましたからやりやすかったのでしょう。その次は傘でした。使っていない教室のロッカーに入れられたり、グラウンドに投げ出されていたりと、いろいろでした。本当にショックだったのは、雨の日にまたしても靴がグラウンドに放り出されていたことでした。すっかり雨に濡れてずぶぬれになった靴を履いて帰りました。
当時、私はクラスの女の子の中でも一番体が大きくて、女の子に意地悪をしたり、ちょっかいをだすような男の子には注意するような子でした。そんなところも反発を買ったのかもしれません。
この陰湿な意地悪に心を痛め、友達に打ち明けました。友達は一致団結して、犯人を洗い出そうよと、頑張ってくれました。でも、とうとう、誰が犯人なのかは、わからず終いでした。