子供たちからの声

このサイトは、紀藤弁護士・HTPのメンバーたちのために、言われもない虐待の疑いをかけられた子供が、
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また、この事件のように法律を利用した事件について考えていくサイトです

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第五-20

52 那須での暮らしぶりについてですが、平成13年8月ごろ、株式会社ホームオブハートの本社は東京から那須へ移転しました。
その頃、シュタイナー学園が那須に移転するという話を聞いて、MASAYAさんとしてはシュタイナーの学校に子供達を行かせたい、ということからそれならと会社ごと那須の方に移ることに決定したそうです。この機会に、私達は「ブーちゃんマン達はどうする?」と聞かれました。
屋久島よりも、ぶたママさんや、MASAYAさん、Bさんや、MEちゃんがいて、お手伝いをさせてもらえるこちらでの生活のほうが楽しかったので、そのまま、那須に一緒に付いて行くことにしました。那須に移ってからも私達は相変わらずスタッフから、簡単なお手伝いをもらい、子供ながら一生懸命手伝ったつもりになっていました。スタッフの方からしたら迷惑だったのかもしれませんが、私としては仕事の手伝いを任せて貰えることが一人前の大人として扱ってもらえたようですごく嬉しかったです。最初は、夏休みや冬休みを利用して、1ヶ月ぐらいで屋久島に帰るような日々でしたが、学校ではけっして教えてくれない、大切なことを学んでいる、そんな気持ちが私の気持ちの中にはあり、屋久島の中学に所属はしていましたが、やっぱりどうしても学校に通う気にはなりませんでした。

53 那須に移転してからは、オフィスが主に営業を担当する方(移転当時はまだ那須ハイランドの建物が建設中だったため、黒磯の仮のオフィスです)と配送センターの2つに分かれましたが、どちらのオフィスも自然に恵まれた、景色の美しい場所にありましたので、MEちゃんを含めた私達子供は、自由気ままに行きたい場所に連れて行ってもらい、本当に幸せに暮らしていました。
特に、忘れもしない平成16年4月7日に私がいた配送センターは、田園風景の広がる森の中にあって、私達子供にとっては、最高の遊び場になる場所でした。4月7日の日は、たまたま私しか来ていませんでしたが、妹1もMEちゃんもしょっちゅう配送センターに遊びに来ていました。
そこは、すぐ近くに大きな川があり、夏場は飼っている犬を連れて、皆で川遊びをしました。
子供達の安全を一番に気にしていたぶたママさんが、その川が子供達にとって安全かどうか役所に問い合わせたところ、ぜんぜん問題が無く、子供が水を飲んでしまっても大丈夫なくらいということがわかりました。
裏山には、木登りをするのにちょうどいい木が沢山立っていたので、私達はトムソーヤー気分で、地上から遥か高いところまで登り、山々が広がる絶景に目を丸くしました。終いには、崖っぷちに生えていた一番高い木に登って、夕日を眺めました。
そんな冒険の後、ぶたママさんから「そんな崖っぷちの木に登って、木ごと崩れ落ちたらどうするの!!」とこっぴどく叱られてしまいましたが、とてもとても楽しい冒険でした。
秋には自生している栗やアケビが沢山実をつけるので子供達でこぞって収穫し、おいしく食べました。時には酸っぱかったり、虫が入っていることもあり、そのたびに私達は大騒ぎをしていましたので、相当騒がしかったろうと思います。
栃木県とはいえ、標高の高い那須ですから、冬は雪が大量に積もります。そこで、私達はスキーウェアやそりを買って貰い、雪遊びを楽しみました。配送センターもハイランドも、家の周りに坂道が多い上、田舎ですから車もほとんど通らなかったので、私達は思う存分、そり遊びを楽しんでいました。思いっきりつるつるに踏み固めた坂道を、一気にそりで滑り降りる爽快感は格別でした。時々、スタッフの人も誘うと、すっかり童心に帰って私達と一緒にそり遊びを楽しんでいました。

そんな楽しい冒険のような生活の傍ら、私は最初に書きましたように、ここで社長のぶたママさんの手伝いをしながら、経理的なこと、会社の経営のことを教えてもらっていました。
私たちがどんなに大事にされていたか、もう少し書きましょう。
桜の花が咲く中、スタッフの人と私達子供とMASAYAさんで、那須塩原市にある、鳥の目公園にお花見に行ったこともあります。みんなでお弁当を持って行き、美しい芝生が広がる公園で、MASAYAさん達と楽しくサッカーをしたこともあります。
これは、私達が「保護」される1年前の出来事です。
これまでの話でお分かりいただけると思いますが、お父さんを亡くした私、妹1にとって、MASAYAさんはお父さんのような存在でした。
私たちが大好きなお父さんを亡くしても不良になったりもせずに済んだのは、母がしっかり見守っていたこと、そしてMASAYAさんがいたからでした。
それだけでなく、スタッフの誰もが家族同然で、皆で幸せに暮らしていました。18歳になったBさんはスタッフになり、初仕事として羽鳥湖のホテルの支配人になりました。
前にも少し書きましたが、Bさんが羽鳥湖のホテルの支配人になった理由は次のとおりです。
9月にMASAYAさんとBさんとMEちゃんと私と妹1で、福島県の猪苗代湖に遊びに行く予定を立てていました。
しかし、家を出るのが遅くて、これでは着く頃には日が暮れてしまうということで、急遽行き先を羽鳥湖に変更しました。羽鳥湖周辺は霧がかかっていて、とても幻想的な風景が広がっていました。
そんな中、たまたま通りすがりに見つけた建物が、羽鳥湖のホテルでした。前の席に乗っていたBさんが「あっあそこに何だか素敵な家がある!」と言ったので私達は車を止め、降りてみるとその家は空き家でした。Bさんと私・妹1・MEちゃんは建物の近くに駆け寄り、中の様子を覗き見ました。外見も素敵でしたが、室内も暖炉があり、とても素敵なお部屋でした。
Bさんはその建物をとても気に入り、その日以来、私に「あそこの建物で、お店が開けたらどんなに素敵だろう」「あそこで皆でバイオリンを演奏したい、そして、MASAYAさんのコンサートが開けたらいいな。」と熱く語っていました。かれこれ1ヶ月ぐらいでしょうか…。
あんまりにもBさんがあの建物のことを話題にするのでMASAYAさんは、彼女のためにその建物を「プレゼント」したのです。MASAYAさんはBさんのことを小さい頃から、自分の娘のように育て、そんな彼女が18歳になり、立派にやっていけるよう、ホテルの支配人を彼女に任せようとしたわけです。
長女で、お姉さんが欲しくてしょうがなかった私にとって、Bさんは本当のお姉さんのような存在でしたので、よく遊びに行き、食事をし、手伝うこともありました。
Yyと私が知り合ったのも、この羽鳥湖のホテルでした。これまで、屋久島のホテルで、Yyという人の存在は知ってはいましたが、そこまで親しくはありませんでした。



第五-21へつづく

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最終更新:12月18日

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