子供たちからの声

このサイトは、紀藤弁護士・HTPのメンバーたちのために、言われもない虐待の疑いをかけられた子供が、
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また、この事件のように法律を利用した事件について考えていくサイトです

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第五-21

54 平成14年1月頃、羽鳥湖のホテルの立ち上げの時に見学につれていって貰ったことがあります。
そこに丁度そこにYyがいて、縫い物をしていましたが、彼女は「こんな手伝いが出来て、本当にうれしい。」と言っていました。Yyは私に「ブーちゃんマンは、こんな小さい頃から、こんな暮らしが出来て、本当に幸せだね。」と、話しかけてきました。
聞けばYyと私は幼い頃の境遇が似ていて、私に「スパルタ式の母を持って、知識を身につけて戦ってきた。母の口癖は「攻撃は最大の防御なり」で、その言葉を信じて戦い続けてきた。その生き方が本当に空しかった。今では自分の甥っ子が、厳しい姉にしつけられて育っている。その姿が本当にかわいそうで悲しい。」と言っていました。
また、Yyのお母さんもガンで亡くなっていて、亡くなる直前にやっと、幸せをつかんで亡くなったこと、その幸せを自分も学びたくて、ここに来ているんだとも、Yyから直接聞きました。
私は、自分と同じような過去を持ったYyに、「今からでも遅くない。どうか、その思いを甥っ子さんに伝えて、甥っ子さんも、Yyさん自身も幸せになってほしい。」と思ってそういったのを覚えています。実際に、この思いをYyに伝えたことはありませんでしたが、私は本当に彼女のことを信頼し、応援していたつもりです。それなのに今回の事件の代表が、彼女らしいと知り、愕然としました。あの時、あの日のYyが、しみじみと、私に語ったことは、すべて嘘だったのでしょうか、私達のすべてを知っていながらに、私達の幸せを奪ったのかと思うと、辛く、悲しく、憤りが止まりません。

私達は自分用のバイオリンやチェロを持っていました。
私はチェロを持ち、妹1とMEちゃん、Bさんはバイオリンを持っていました。
ことの始まりは、私と妹1がまだ屋久島に引っ越してきたばかりの時です。小さい頃、私と妹1はバレエを習っていましたが、楽器を演奏することにも興味がありました。
ですから、お小遣いでオカリナを買って独学で練習したり、父方の祖母宅にあったピアノを送ってもらい、基本的な譜面の読み方など母に教わりながら弾いていましたから、屋久島に移ってからも、支配人のBOBOさんにピアノを教わり、練習していました。

その様子を知った、MASAYAさん、ぶたママさんから「せっかくだから、バイオリン教室に通ったら?」という案がありました。MEちゃんとBさんは東京のバイオリン教室に通っているから、将来一緒に弾けたら楽しいのではないか?ということ、学校に通っていない私達に何かもっといい方法で勉強する方法はとれないか、というところからだと思います。
私も妹1はとても喜び、早速屋久島で一番近い、バイオリン教室を探しましたが、何しろ田舎ですからピアノ教室すらほとんど見当たりませんでした。
鹿児島まで行けば、いくつかあったのですが片道30分のトッピーに乗らなくてはならなかったので、とりあえず「BOBO先生のピアノ教室」でピアノを練習することにしました。でも、MEちゃんとBさんと一緒にバイオリンを弾けたら、という夢は諦めず、いつか自分達用のバイオリンを買って、独学でもいいから練習したいね。と妹1と話していました。
東京に遊びに行くようになってから、MEちゃんとBさんがバイオリンを練習している姿を見て、ますますバイオリンを習いたくなりました。そこに、ちょうど2艘、バイオリンが余っていたので、私と妹1も一緒に練習するようになりました。だいぶ上達してきて、私達4人でMASAYAさんやぶたママさん達を呼んで、演奏会を開いたりするようになりました。
当然、子供ですから演奏できるのは簡単な「キラキラ星」程度ですが、突然のサプライズと、子供達の頑張っている様子に皆喜んでくれました。「せっかくだから、みんなで四重奏をしたらいいんじゃない?!」と、MASAYAさんやぶたママさんたちが絶賛したことから、「それはいい!」と私達も嬉しくなって、頑張って練習しました。
今では普通の身長ですが、当時の私は大柄なほうでしたので、私がチェロを担当することにし、インターネットであれこれ「品定め」をしていました。
そして、平成15年5月、やっとちょうどよいチェロが見つかり、母に買ってもらいました。ずいぶん長いこと探し続けたので大変でしたが、私はやっと念願のチェロを手に入れることが出来、感無量の思いでした。

それ以来、私達はいつか、MASAYAさんのコンサートを自分達の演奏で開きたい、と夢見ています。
その夢を応援してくれていた一人であるはずのUTさんが、どうしてYyたち側にいるのか、私には全くわかりませんし、信じがたいことです。
UTさんのほうが、よほど私達の暮らしぶり、真実について、わずかではありますが(Yyなどよりよっぽど)知っているはずなのに、どうしてあの嘘つき集団に入り、嘘をついているのでしょうか…。


最後に、MASAYAさんとの暮らしぶりについて、じゃあ実際どんな頻度でMASAYAさんは私達に会っていたのだろう、と感じられている方も多いと思います。私達が屋久島に住んでいた頃(平成12年)は1ヶ月から3ヶ月に1回、コンサートツアーもかねて、屋久島に来ていました。
私も妹1もすっかりMASAYAさんのことを、「お父さん」として、とても慕っていましたから、この1ヶ月から3ヶ月という期間は、次に来る日が待ち遠しくて仕方がありませんでした。本社が那須に引っ越してから、MASAYAさんが那須に来るのは時々仕事のために来る、という感じでしたが、平成14〜15年あたりからは比較的頻繁に、那須に来ることが多くなってきたように思います。
割合で言えば那須が3分の2、東京に帰るのは3分の1、といったところです。
MASAYAさんが東京都に住所がある、ということはなんとなく知っていました。それでも、私が「一緒に暮らしていた」という理由は、これまでお話してきたように、父の死からつながる、母が就職するまでの経緯をすべて読み、理解していただけた方には、わかることだと思っています。



第五-22へつづく

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最終更新:12月18日

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