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第五-30
70 4月12日ごろだったと思います。こんなことがありました。
私と同い年の女の子の一人が、プレイルームのソファーに座って泣いていました。向かいに座った子と保護所の職員さんが話を聞いているようです。
この子は、児童自立支援施設「N学園」へ行くことが決まり、「A学なんか、行きたくない。」と言って、泣いていたのです。その子は私と同い年とは思えないほど、おとなしいし、品のいい子なのに、一体どうしてだろうと疑問に思いました。
当時は、A学園(上記のように、「A学」と言われていました。)が一体どんなところなのか、名前すら知りませんでしたが、この子のことで、保護所にいる子供達は、「A学園なんて、行ったら人生終わり。」「あんなところで青春を潰したくない。」と口々に言い、その子に対して、励ましの言葉や慰めの言葉の他に、「いいか、行ったらすぐに脱走してこいよ!」なんてことを言う男の子までいました。
4月14日、彼女は保護所からいなくなりました。笑顔は見ましたが、果たして彼女は本当に幸せだったのか、彼女の真意はどうだったのか、未だにわかりません。
児童相談所は、たとえ子供本人の意向に反していても、どんなにその子が望まないものだったとしても、強制的にその子の運命を決めてしまうことができる。「実際にその道を歩むのは、児童相談所ではなく子供達なのに、その本人の望み・思いを汲み取ることもしないのだな。」と、この現実を目前で見てしまった私は、改めて今自分が置かれた状況の危うさ、恐ろしさを感じました。
「あの日」から、私達にはまるで違った人生が勝手に描かれているし、今後どんなに書き換えられていってしまうか、まるでわからない。それを自分で決定することができない。その前提となる事実が、全くわかっていない人が決める、としたら・・・。
私は正義が正義として通用しない、事実が事実として通らない現実を、本当に恨めしく思いました。
そして、まったくの非力で、何の力にもなれない自分が、とても悲しくなりました。どうして、当の本人である私達の声よりも、社会的な権威を笠に着た悪人の言うことを「事実」とするのか。
その彼女のこと、私達のことを考えては、この社会は本当に間違っている…、と痛切に感じました。