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第五-12
38. 家にいるばかりではあまりに退屈なので、私は毎日、自転車に乗って出かけていました。
私が出かけている間、妹1は自転車に乗れなかったので、留守番をさせていました。私と一緒に出かけたいあまり、妹1は頑張って練習をして、そのうちに当時住んでいたマンションからすぐ近くのコンビニまで、一人で自転車に乗っておやつを買いに行くこともできるようになってしまいました。
その姿を、会社帰りの母が目撃したのですが、家の近くは車通りの激しい場所で、しかも薄暗い夕方会社帰りの車が行き来する中でしたので、母は「私がいない間にあなた達が事故にあったらどうするの!!」と顔を真っ赤にして目に涙を溜めて、私達を叱りつけました。
母は折角の父のいた会社の勧めで就職させていただいたところでしたが、私たちのためにその勤めを辞め、今度は死んだ父がずっと夢見ていたMASAYAさんのCDや松田賀江さんの絵本を扱うショップを始めよう、そうすれば、自分が働いている間も、子供達の面倒を見ることができると思うようになり、仕事の合間を縫っては店舗探しを始めました。
この母の親としての姿勢のどこかに私たちの「虐待」につながるようなものがあるのか、教えていただきたい、そう私は思います。
母の姿勢は今日まで全く変わっていません。
39. 私も何度か母と一緒に物件を見に行ったことがあります。何軒か気に入った店舗もありました。
契約をしたい、と母が不動産業者の方に問い合わせても、お店を借りるには「保証人」が必要だと業者の方から言われ続けました。父が亡くなってしまったので、業者の方は、親に保証人になって貰えばよいでしょう、と母に言ってくれました。
しかし、父が死んでから、祖父母との関係が悪化し、ショップを開こうとする母のことを、祖父母は全く快く思っていなかったようです。保証人がついに出来ず、母はショップ作りを断念することにしました。