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第五-13
40. なお、この祖父母達も、今回の事件で、紀藤らに脅しをかけられた被害者です。
本当に信じ難いことですが、児童相談所に私たちが連れて行かれる半年ほど前に、紀藤弁護士らは、私の祖父母までも、声を掛け、事件を依頼するように話していました。
Yyが父・母両方の祖父母に電話をかけ、東京の紀藤弁護士の事務所に来るようにと言ったそうです。あまりに突然の話に、祖父母は戸惑いながら、「とりあえず、行ってみるか。」と出かけたらしいです。事務所に行った祖父母に紀藤はおどろおどろしい作り話を散々聞かせました。「このままだと死人が出ることになる」とまで、紀藤は祖父母に言ったそうです。
そんな話を聞かされて、祖父母は本当に驚いたことでしょう。
しかし、祖父母らは最終的に「この人たちは単なる金取りだ。いったい何のためにわざわざ東京まで来たのかわからない。」と話しながら、事務所を後にしたそうです。祖父が翌日、紀藤に「私達は協力をしませんよ。」と電話で断った途端、「あんたは見殺しにする気か!!!」と怒鳴られたそうです。
こんなことが弁護士のやることでしょうか。
それでも、祖父はひるまずに断り、ますます紀藤たちに対し、「やっぱりあの人たちはお金取りだったね。」とつくづく思ったそうです。
こんなことこそ、恐喝であり、犯罪ではないでしょうか。
こんな弁護士を放っておいてよいのでしょうか。
今回の「児童虐待騒動」で私たちを助け出したい、などとテレビで言っていたり、ホームオブハートやトシオフィスでは子供を段ボールに入れて育てているなんていう馬鹿なことを言ったKkと母が出会ったのは、平成11年7月のことです。
少し話が飛んでしまいますが、ショップに関連する話として、ここで書かせてください。
事の始まりは平成11年3月末、母と私と妹1で新潟市にて開催されたTOSHIさんのコンサートに行った時のことです。
このコンサートには新潟のとあるレストランの奥様(お店でMASAYAさんのCDを販売されていました。以下Cさんと書きます)と、当時新潟県に住んでいたKkも来ていました。私達はKkの存在など、全く気がつきませんでしたが、偶然Kkの目に私達3人の姿が止まり、Cさんに「あの親子と連絡をしたい」「連絡先を知らないか」というようなことを執拗に聞いてきたそうです。
そんな見ず知らずの他人に、執拗にコンタクトを取ろうとする行為自体、へんな行動だなと、私は思っています。たぶん、いいカモだ、とでも思ったのではないでしょうか。
4月の末頃、Cさんから母に電話が来て、「Kkさんという方があなたと連絡をしたいと言っています。電話をかけてもらえませんか。」と話したことから、Kkとの関わりが始まったと聞いています。
なお、私自身は母とKkとCさんのやり取りなど、全く知りませんでした。私自身がKkと初めて会ったのは、平成11年9月15日東京でのTOSHIさんのコンサートに行くために、新潟駅で初めて会ったときです。
母自身は、TOSHIさんのコンサートに行く気はさらさらなかったのですが、Cさんから「本当は一緒に行きたいけれど、どうしても自分は行けない、代わりにあなたが一緒に行ってもらえないか」と強く頼まれ、気乗りしないまま、仕方なく付き合うことにしたのだそうです。
実際、TOSHIさんのコンサート会場にはいわゆるビジュアル系のコスプレをした、TOSHIさんのファンが沢山来ていました。
当時、小学3年生とはいえ、V系なんてまったく知らなかった私はすっかり怖くなってしまい、「どうしてお母さんとKkさんはこんなコンサートに来たんだろう」と思いました。見上げると母も「やっぱり断ればよかった」というようなしかめっ面を浮かべていました。
そんなTOSHIさんのコンサート会場で一番はしゃいでいたのはKkでした。
私は怖くてすっかり引きつっていましたから、「この人、よくそんなにはしゃいでいられるな」と思い、幻滅しました。
それから、Kkの家に遊びに行ったこともありました。と言っても回数でいえば2回ぐらいですが、そこで初めてKkの娘のDちゃん(当時幼稚園ぐらいだったと思います)に会いました。
Dちゃんに手を引かれて、お部屋を案内されているうち、階段の前で突然Dちゃんが怯えたような顔をして、「ここでは、静かに歩いてね。」を、声をひそめて私と妹1に言うのです。あまりにも普通でない表情で言うので、通り過ぎてから、Dちゃんに聞いてみると、「あそこは、おじいちゃんとおばあちゃんのお部屋だから、静かにしないとダメなの。」とあっけらかんと言う彼女でしたが、何かいざこざがあって、おばあちゃん達とうまくいっていないのかもしれない、それをこの子は恐れているのかなと思いました。
ようやくここで、「Kkさんは母と一緒にホームオブハートのCDなどのショップを開きたい人なんだな。」と理解しました。
最初は、一体どうして、Kkと母が関わるようになったのか、全く知りませんでしたから、彼女のことを警戒していました。Kkと母は、一緒に松田賀江さんの美術館や、新潟での店舗探しにも一緒に行きましたから、母とKkはお店を開くことで完全に意気投合し、協力し合っていて、いいコンビなんだとばかり私は感じていました。