子供たちからの声

このサイトは、紀藤弁護士・HTPのメンバーたちのために、言われもない虐待の疑いをかけられた子供が、
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また、この事件のように法律を利用した事件について考えていくサイトです

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第五-14

41. 話は前後しますが、平成10年12月、私は生まれて初めて、MASAYAさんのコンサートに行きました。
家を出る前に、母は父が一番よく写っている写真を選び、「これで、お父さんも一緒だね。」と大切にハンドバッグに仕舞っていました。会場は沢山のお客さんで一杯でした。
ステージには、綺麗なお花や可愛らしい縫いぐるみと共に松田賀江さんの写真が飾られていました。
コンサートはTOSHIさんの歌で始まり、吉田弥生さんのピアノソロの後、いよいよMASAYAさんが出てきました。
ずっと、声だけは父のCDで聞いていたのに、どんな人なのかずっと知りたかったMASAYAさんの姿は、目を凝らしてよく見ると、何だか父に似た雰囲気を持った人で、大変驚きました。
その時、MASAYAさんの新曲「青空のように」を聞いて、青い空がよく似合っていた父を思い出して、「お父さんにも聞かせたかった。一緒にこのコンサートを聞きたかった。」と泣いてしまいました。
コンサートが終わってから、ホームオブハート(この頃は、レムリアアイランドレコードという名前でした)のスタッフのOMさんと初めてお会いしました。
母が父から私達への最後のプレゼント(例の絵本20冊です)を注文した時、電話を受けて、急いで絵本の手配をしてくれたのはOMさんだったそうです。
OMさんをはじめ、ホームオブハートのスタッフの方は、母から父がスキルス胃ガンであったことを知り、父の存命中に届くようにと、急いで手配を済ませ、どの荷物よりも優先して出荷してくれたそうです。私達はOMさんに感謝の気持ちを伝えて、コンサート会場を後にしました。
平成11年3月には、アメリカ・ロサンゼルスでのMASAYAさんのレコーディングツアーに私達は参加しました。
このツアーは、私が現在に至るまでの間で、もっとも重要な出来事がありました。
この出来事をきっかけにすべてが動き出したのだと思っています。
レコーディングの見学が終わり、私達はビバリーヒルズにある、有名なレストランに行きました。
私達はMASAYAさんと同じテーブルの席に着席しました。
MASAYAさんと話をする中で、父はスキルス性胃ガンで死んだことを母が話しました。
MASAYAさんはとても驚いて「賀江も同じだった、スキルスガンで、ガンがわかってから8ヶ月だった…。僕達は仲間だね。」といいました。
父も同じ8ヶ月間の闘病期間でした。
ちょうどその頃、ディレクターのMさんが同じテーブルに座られましたので、私と妹1とMASAYAさんは、「それでは、クイズです。私達にはある共通点があります。一体何でしょう。」とクイズを出しました。
「えー?わかんないよ〜。」というMさんに、私達はヒントに「切なさ」、「はかなさ」、「MASAYAの音楽の世界観」、「愛しさ」をいうキーワードを出しました。
私達とMASAYAさんはすっかり和気藹々と、「『かなしさ』なんて言っちゃったら答えが分かっちゃうよ〜」などと言いながら、クイズを楽しんでいました。
ディレクターのMさんはとうとうわからずに降参したので、いよいよ答えを明かしました。

『私達は、ともに愛しい人をガンで亡くしました。』

これが、答えです。
答えを言った途端、周りが静まり返ってしまったのですが、その後はすっかりMASAYAさんと打ち解け、食事を楽しむことができました。
レストランからの帰り道、MASAYAさんは、「実はうちにも「ME」っていう子供がいてね…家が2階にあって、1階が事務所になっているから、いつも「しゅっしゃしまーす!」って言って降りてくるんだよね。」、「事務所でスタッフが営業の電話をかけているのをみて、真似をしたがるから使えない電話を渡したら、ちゃんと大人がやっているのを真似て、電話掛けして遊んでいるんだ。」と、話していました。
このMEちゃんが、後に児童虐待騒動の時に、ホームオブハートで虎のぬいぐるみを来て四つ足で生活しているなどと隠し撮りされたビデオで馬鹿馬鹿しくも公共の電波で紹介されてしまった子です。


このツアーの後の、平成11年4月25日の松田賀江さんの命日に、葛飾シンフォニーヒルズ モーツァルトホールで、MASAYAさんの大きなコンサートがありました。
母はボランティアスタッフとして参加を申し込み、母と私と妹1でMASAYAさんのコンサート作りの手伝いをさせてもらいました。
楽屋裏で、パンフレットの束にホッチキス止めをしたり、舞台に飾る花に紙を巻いたりと、いろいろなお手伝いをさせてもらいました。子供ながらに一人前の仕事ができたように思え、とても嬉しかったです。
こんなことまで書くことも馬鹿馬鹿しいことですが、私と妹1は一切、大人の人たちから「手伝いなさい」と言われて手伝ったのではありません。私の母すら、私達に対して「お手伝いしなさいよ」などと言いませんでした。むしろ、「子供なんだからその辺りで遊んでなさい」という様なことを言われました。
実際お手伝いの手を離れて遊びに行くこともあります。しかし、大抵数分経てば飽きてしまうものです。
ですから、よっぽど皆のお手伝いをすることのほうが、何より魅力的でしたし、とても楽しかったです。また、このコンサートには私の祖父母3人(母方の祖母・祖父、父方の祖母 父方の祖父はこの年の1月に父の後を追うように亡くなってしまいました。)も招き、父が最後まで聞いていたMASAYAさんの音楽とはこういうものだったのかと、深く感銘を受けていました。
また、父が受けたMASAYAさんのセミナーで、父と同じセルフトレーニングの参加者だったTmamaさん(8ヶ月以上もの間、紀藤、Yy、Kkらのせいで実の親子なのに引き離されたT君のお母さんです。)も、ボランティアスタッフで来ていたので、母は祖母に「この方は、NAO君(父の事を母はそう呼んでいました)が受けたMASAYAさんのセミナーで長いこと一緒だった方です。私よりも、NAO君のことをよくよく知っている方です。」と紹介していました。
Tmamaさんは「私は、MASAYAさんのセミナーでずっと一緒に参加していた者です。とても素朴な方で、セミナーに誠実な姿勢で参加されていたのをよく覚えています。それ以来、ブーちゃんマンや妹1ちゃんの事も、まるで自分の子供のように思ってきました。」と言うと、祖母は「あら〜、そうでしたか。そうだったんですか〜。本当に、ありがとうございました。お世話になりました。」と深く頭を下げ、Tmamaさんにお礼を言っていました。
そんな祖父母に、私は「いっぱいお手伝いさせてもらって嬉しかった。このお花は私が作ったんだよ!」と誇らしい気持ちで言いました。
そんな私に、祖父母は「そうかい、そうかい」と嬉しそうに笑ってくれました。コンサートの後、母と祖父母が親しげに話しているのを見て、なんとなく、よりが戻ったように思え、子供心にとても嬉しく感じました。
平成11年5月24〜31日には、母が、MASAYAさんと行くトンガ王国でのツアーに参加しました。
私と妹1は、父方の祖母に家に来てもらい、3人で留守番をしていました。私と妹1が、ツアーに参加できなかった理由は、トンガは南の国だから、おなかを壊してしまうかもしれない、という衛生面上から、大人の人向けのツアーなんだ。と聞いています。
祖母は、私と妹1の「子守」を喜んで引き受け、3人そろって笑顔で母を送り出しました。
一方、母はMASAYAさんから、「子供達はどうしたの?」と聞かれたそうです。「夫の母が面倒を見ています。」と答えると、「ああそうでしたか。」と、MASAYAさんは答えたそうです。
このツアーが何故「トンガ王国」だったのかというと、亡くなった松田賀江さんが保母さんを目指したきっかけが、テレビで見たトンガ王国の子供達が瞳を輝かせている姿を見て、いつか、トンガ王国で幼稚園を開きたいと思っていた、というエピソードから、彼女を偲んで、企画されたものだそうです。
後に、このツアーでの様子を取ったビデオを見ましたが、本当にトンガ王国の子供達は大きなキラキラした目で、訪れたMASAYAさんやツアーに参加した人たち全員を歓迎し、歌を歌っていました。
同じ子供なのに、育つ環境でここまで表情が、変わってしまうのだなぁと、私は本当にショックを受けました。
この子達のように、大自然の中で素朴に暮らしていたいなと私は子供心に強く思いました。

麻布の松田賀江さんの美術館へ一度行ってみようよ、ということになり、3人で新幹線に乗り、出かけたこともありました。
途中、道に迷いながらも、やっとの思いで辿り着いて美術館の中に入ると、そこは別世界でした。絵本で見たことのある松田賀江さんの挿絵が沢山飾られる中、MASAYAさんの音楽が静かに流れていて、それはそれは、東京の喧騒の中にあるとは思えない、とても心落ち着く場所でした。
しばらくすると、平成10年12月のコンサートで会ったOMさんが、小さな女の子を連れてきました。その子はまだ3歳だった、MEちゃんでした。
MEちゃんは、OMさんにしがみ付いて、恥ずかしそうにニッコリ笑っていましたが、すぐに妹1と仲良くなってしまい、2人で美術館中をぐるぐる走り回って遊んでいました。
私達はこの美術館で毎月行われるMASAYAさんのホームコンサートに、必ず足を運ぶようになりました。ホームコンサートとは、美術館内に30席ぐらいの椅子が並べられた、とてもこじんまりとした、アットホームなムードの中、行われるコンサートです。私達は、毎月このコンサートを楽しみにしていました。大好きなMASAYAさんの歌が間近で聞けること、MEちゃんと一緒に遊べることが、とても待ち遠しかったのです。



第五-15へつづく

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最終更新:12月18日

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