子供たちからの声

このサイトは、紀藤弁護士・HTPのメンバーたちのために、言われもない虐待の疑いをかけられた子供が、
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また、この事件のように法律を利用した事件について考えていくサイトです

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第五-16

44 Bさんは、もともとはお母さんがホームオブハートのスタッフで、お母さんが働いている間、MASAYAさんやスタッフの方々の見守る中、育まれていたそうです。
Bさんのお母さん(以下、Sさんと書きます)は、松田賀江さんのポストカードが発売されたときには、「賀江さんのポストカードが、発売されましたよ!」と父に電話で知らせて、送ってくれていた方だったそうです。私は会ったことがありませんが、母は何度か、Sさんに会ったことがあります。
私や妹1のことも、Sさんはコンサートで見かけて知っていましたから、「私は、BKさん(父のことです)に、賀江さんのポストカードが発売された途端、電話して送ったんですよ。娘さんは、本当にお父さんに似て、かわいらしい子ですね。」と母に言っていたそうです。
その後、Sさんはホームオブハートのスタッフを辞めてしまったそうです。Bさんは、MASAYAさんやスタッフの方に家族同然に可愛がられて暮らしていましたので、Bさんをぶたママさんに預け、会社を退社してゆかれたそうです。
Bさんは、私と違って不登校ではなく、シュタイナーの学校に通っていたそうです。
シュタイナー教育の学校と言えば、ホームオブハート自体が、東京から那須に移った理由は、シュタイナーの学校が那須に出来そうだと聞いたからでもありました。
しかし、Bさんの話では、彼女も私と同じように、クラスの子からいじめられたことがあり、たとえそれがシュタイナーの学校でも、子供達の間の戦い合いは変わらないとBさんは言ってくれました。
今でも、私とBさんとはどこでも一緒です。彼女は、とても夢があって、アイディアマンで、私の憧れの存在です。彼女と一緒に仕事をこなす中で、私は彼女のサポート役として、機能的なことを担って、2人1組で精一杯がんばっています。
後にも書きますが、ホームオブハートのビッグベアークラブハウスは、初め通りすがりで見つけた空き家だったのですが、あまりにも彼女がその家を一目で気に入り、あそこでお店が出来たらどんなに素敵なお店になるだろう、と私に熱をこめて語っていた様子を知ったMASAYAさんが、それなら叶えてあげようと、彼女にプレゼントした施設でもありました。
たとえ方はあまりよくないかも知れませんが、親が何処かに行ってしまった子を、我が子のように(MEちゃんにしてもそうですが)育てているMASAYAさんが、何で段ボールで子供を育てたり、テレビを見せない、食事をさせない、ただ働きをさせて搾取する、その子に一切の自由を認めないような人だといわれなければならないのでしょうか。私には、このようなことを真顔で言う人が全く信じられません。

45 父死亡後、MASAYAさんのコンサートやツアーに参加する、そんな生活が続き、父亡き後、私と妹1は、すっかりMASAYAさんたちのことを家族のように思っていました。
ある時、MASAYAさんをはじめとして、ぶたママさんから、母に「スタッフになって、屋久島で働かないか。」という声をかけてくださいました。
屋久島のホテルにいた、NTさんも退社してしまったのでスタッフを募集していたのと、夫を失い、子供が不登校になってしまって悩みに悩んでいる母の沢山の思いを汲み取って、子供達と一緒に、安全に暮らせるようにという思いから、母に声をかけてくれたのだと思います。
お声を掛けていただいたのは、2度目のようでしたが、さすがにショップを開こうにも不動産業者のところで躓いてしまう母を見るに見かねて、再度声をかけていただいたというのが真相のようです。
母は喜んで、研修のために東京に出向くようになり、私と妹1も一緒についていきました。母の用事が済むまで、私と妹1は、MEちゃんとBさんと一緒に遊んでいるようになりました。その話を母が持ち出したときのことはよく覚えています。
確か、平成11年秋の終わり頃だったと思います。母は家にいる私と妹1を近くのファミリーレストランへと誘い、そこで夕食を食べながら、「あのね、屋久島で働いたらいいよって話があるんだけど、あなた達はどう思う?」と、話を切り出しました。
「へ?!や・く・し・ま?!」と、私と妹1は呆気に取られてしまい、暫く目が点になっていました。
まさか、あの屋久島に引っ越すことになるとは夢にも思いませんでした。
このときの私の返事は、まったく気持ちの整理はつかず、「…もうちょっとしてからにしたい。」とだけ答えました。
家に帰って、私は部屋を見渡しながら、母の突然の質問への答えを考えました。父と暮らした思い出のある新潟を離れるのは寂しいという気持ちがあります。
でも、このまま新潟に留まり続けたところで、学校に通う気がない私に、出来ることなどひとつもなく、毎日が退屈で仕方がありませんでした。BさんやMEちゃんに会うこと、大人の人の手伝いをすることの方がよっぽど楽しいことでしたから、屋久島に行ったら、いままでとは違う、もっと新しいことが始められるかもしれない。父がやりたかったこと、私が本当にやりたいことをやろう。という決断に収まりました。



第五-17へつづく

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最終更新:12月18日

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