子供たちからの声

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第五-2

  10. 平成10年1月4日、父は入院して手術をし、胃を全部取ってしまいました。そのため、あんなに食べることが大好きだった父は、元のように食事をする事が出来なくなってしまいました。
父のお見舞いに行くたび、母はプリンやヨーグルトを買って、父に食べさせていました。
胃を取ったことを母から聞いていた私は父に、「お父さんのお腹は良くなるの?胃が無くなっちゃったんでしょ?」と聞いたことがあります。
父は「胃は使っているうちに伸びてくるから、そのうち元通りになるよ。」と答えていました。
まだ小学2年生だった私は、父の言葉を本気で信じ、胃をよく使えばいつかお父さんは良くなるんだ!とばかり思っていました。しかし、今、父はきっと私を安心させるために、そう言ったのだと思います。実際には、どんなに食べても父の体は拒絶し、すぐに吐き戻してしまう日々でした。
私は父の胃は「使っていればもとに戻る」という言葉を信じ、胃を使い続ければ、いつか良くなる!と、父の看病も積極的に手伝い、お見舞いに行くたび、父が吐いた入れ物を洗剤でしっかり洗った後、よく水気をふき取り、父の部屋に戻すことや、腰が痛いという父に、マッサージをして痛みを和らげる等々、出来ることは本当になんでもやらせてほしいと母に頼んで、出来る限り母の手助けをしていました。
でも、父が入院してから1ヵ月位経った2月の上旬頃だったと思います。突然家に父が帰ってきました。私と妹1はとても驚きました。
子供の私でさえ、父はまだ家に帰れる状態ではないと思っていた筈なのに、父が家に帰ってきたからです。信じられないことでしたが、とても嬉しかったのを覚えています。
帰ってきた父に、妹1が「お帰り!」といつものように抱きつこうとしたら、「お腹が痛いからやめて!」と父が大きな声をだしてしまい、妹1は呆然と立ちすくんでいました。
私も妹1も、今までに見たことの無い、父のそうした姿に動揺しました。でも、家に帰ってきてくれたことは、何よりの喜びでした。

11. 家に帰ってからの父は、何を口に入れても、やはり吐いてしまうばかりでした。
何とか、お腹に入れなければと、必死でフルーツのピュレやプリンなど、食べられるものを食べていました。具合が悪くさえなければ、いつもの明るい父でしたから、学校から帰るとき、父が起き上がっていればいいなと楽しみに思いながら家に帰りました。
私は「お父さんは、きっと治る。」と、ずっと信じていたのです。父方の祖母も、私が幼稚園の頃、大腸ガンを患いました。でも回復し元気に暮らしていました。ですから、父も祖母のように治るんだと、信じていました。父の体がよくなるように、全力を尽くそうと、子供ながらに決心して、父が喜ぶことは何だろう、父の病気が治るものは何だろうと、模索する毎日でした。

12. 後からわかったことですが、病院の治療方針が納得できず、母と父は、なんとか、自然な物でガンがよくなるようにと、家に浄水器を取り付けたり、アガリクスのお茶を毎食後に必ず飲んだり、時にはいいエネルギーが出ると言われているペンダントを身に着けたりと、ガンが治ると言うものは藁をもすがる思いで何でも集めていました。同じガンでも、スキルス性のものが実は更に大変なものだというということを、わからなかったのです。
まともに食事ができない父は日に日に悪化するばかりで、3月の末、ついに父は再入院することになってしまいました。母が父を病院に連れて行った日のことは、今はあまり覚えてはいませんが、その翌日にそれまで父が寝ていた部屋が空っぽになってしまった寂しさは、未だに忘れられません。
どうして、父は再入院してしまったのか、父の身体に何があったんだろう…。と、私は心配で胸が張り裂けそうでした。もしかして、私がお父さんに何か嫌な思いをさせてしまったのかと、自分を責めることもありました。

13. 父が再入院し、大分時間が経った頃だったと思います。
家に一つとても大きな荷物が届きました。母から「お父さんから、「最後のプレゼントだよ。」って。ブーちゃんマンと妹1に買ってやれって言われた。」と言われました。
どうして「最後」なんて、お父さんは言うのだろう、と思いながらも、大急ぎで封を開けると、中身は20冊の絵本でした。その絵本のところどころには、父が家中に飾っていた松田賀江さんの挿絵がありました。この絵本は全て松田賀江さんの書いた絵本だということを知りました。その日か翌日、父の病室に行き、「お父さん、ありがとう!」と言いました。
前々から、私と妹1におもちゃを買うたびにニコニコと嬉しそうに笑っていた父でしたが、このときが一番、嬉しそうな顔を浮かべて、「気に入ったかな?」という父でした。その日から寝る前に1話、その本についているカセットテープを聞きながら、絵本を読みました。宿題のようにお話のことを考える毎日になりました。

14. 「目から鱗が落ちる」、という喩え方がありますが、その時の私はまさにそうだったと思います。
「よろいを取った桃太郎」というお話、「ともに勝った本当のうさぎとかめ」のお話を読んだ時、これまで私が知らなかった、新しい世界が書かれていると思いました。
「よろいをとった桃太郎」は、鬼退治に来たはずの桃太郎が、鬼達のあまりの善良さ、素朴さに心を打たれて、自分は本当に間違っていたと、よろいを脱いで、鬼に謝りに行く。そんな桃太郎を手厚くもてなす素朴な鬼さん達、醜い人間の戦いが見てられなくて、宝を捨てに行ったのだが、驚かせてしまって申し訳ないと謝る鬼さんたちの姿を見て、更に驚く桃太郎…というお話です。
「ともに勝った本当のうさぎとかめ」は、通常の物語では、カメのことを見くびったウサギをカメが負かす、というものです。「うさぎとかめ」では、カメがどんなに足が遅くても、純粋に一生懸命走る姿に、心を打たれたウサギは自分のやったことがとても恥ずかしくなって、カメを先に行かせるために、寝たふりをしています。そんなウサギに、カメはこんなところで寝ていたら風邪をひいてしまう、君は足が速いのだから、がんばろうよ。と声をかけるのです。ウサギはカメに、もう競争はやめよう、一緒にゴールを目指そうと、2人手をつないで、ゴールにたどり着くのです。私が知っていたウサギとカメのお話のようにではなく、そうやって隔たりなく、素朴に、純粋に生きていく道があることを初めて考えさせられた絵本でした。
父が、外の何もいらない、これだけを読んでおくことと母に言ったことから、これが父の何気ない、ただただ商品を選んだだけのプレゼントなどではないことは、よくわかりました。
当時、学校で辛い思いをしていた私たちだけに、そのお話は、本当にそうだったら、どれほど嬉しいことだろうと思えたことでした。父が最後のプレゼントとしたこの絵本の世界は、それまで自分が知っていた世界のものではありませんでした。
学校で口ではいわれているものの実際には通用していない価値観です。まったく違う世界でした。
私は、昔から本を読むのが好きな子供でした。でも、ただの絵本なのにこれほどの衝撃、感銘を受けた本はありませんでした。父は、とても素晴らしい絵本を与えてくれたと、読めば読むほど、そう感じて、お見舞いに行くたび、感想を父に話すのでした。時には、気に入った物語の絵本を病院に持っていき、父に見せてあげることもありました。

15. 父から与えられた松田賀江さんの絵本に、小さかった私があれほどまでに感銘を受けたのは、当時既に学校での虐めのことで非常に悩んでいた時期だったことが、影響していました。
そのころ私は、通っていた小学校で、描いた絵が偶々表彰されてしまったことをきっかけに、靴や体操着がバラバラにされて隠されるなど、誰がしたかわからない形でとても陰湿な虐めを、繰り返し受けていました。
私自身、これまで学校で普通に行われていた、出来る子・出来ない子、抜いた子抜かれた子、勝った子・負けた子とするような、どちらにしても人と自分を比較したりする見方にどっぷりと浸かっていました。友達との間でも、競争を基準に見るような、何処か余裕のない見方が、実はとても貧しいのではないかと、初めて知りました。
私はどちらかというと勉強が出来るタイプでしたから、学校は普段居心地がよいところでした。いわばそれを武器にして先生のお気に入りになることも、友達の間で優越感に浸っていることもできました。学校の勉強がよくできる子というのは、そうなってしまうことが多いと思います。
でも、そうではない子はどうだったんでしょうか?私は学校の中で、優越的に、えばりくさって生きてきたのでは?逆だったら、居心地はどうだったのでしょうか。表彰されたことをきっかけに私に降りかかってきたのは、喩えようのない虐めの世界でした。
学校でのそんな戦いの中にあるような価値観を、ひっくり返してしまった松田賀江さんの絵本は、子供ながらに何処か今自分がしていることはおかしいのではないかと深く感じてしまうところがあり、考えさせられる絵本でした。
誰かを蹴落として生きて行くこと、いわば外からの価値で自分を作るのではなくて、一緒に行こうよと、自然に手を差し伸べられる気持ちを持つことができること、自分の価値は自分が決めるもの、自分の内側に価値を見いだせること、自分の欲しい結果のために、脇目もふらずに、人が困難にあっているのを素知らぬ顔でいつづけることの居心地の悪さ、その正体がこういうことだったのだとわかりました。
誰かを蹴落とすことで自分の価値を見いだすのではなく、誰もが目標に向かって生きてゆける、それぞれの力を出し合って、共に生きていくことが出来る。それで実は何も過不足はなかったのではないか、そんな大切なことを、私はこの絵本で学んだのだと思います。こうしたことを子供の頃から教えずに、子供の教育が成り立つ得るものではないのではないか、と私は強く思っています。
幼稚園の先生であった松田さんの考えは、小さい時に、こうした感じ方が出来るようになっていることが子供達の未来にとってどれほど大切なことか、感じておられたのではないでしょうか。とても小さいころからの気持ちや感じ方、人との接し方、人や社会との関わり合いの持ち方は、自分の最初の出発点がどこにあったかで、大きく影響を受けると思います。裁判官の方も弁護士の方も、自分の気持ちは、自分が一人の人間として今も過去から止まることなく、しかし昨日の自分の上に、今日の自分として意識を継続させて生きている以上、一つの積み重ねられてきた自分の意識の歴史の中にあることはお分かりいただけると思います。その時に、人が小さいときから教えられる物の見方の中に、このような観点がきちんと現れていたならばと切実に思いました。



第五-3へつづく

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最終更新:12月18日

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