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第五-25
60 私は、シャーマンはお母さんの勤め先のトシオフィスが同じマンション内の別階でしたから、私達と異なりお母さんと暮らしていたとしてきっと家に帰れただろうと思っていましたので、大変驚きました(ただ、後日聞くと、マスコミがトシオフィスのあったマンションの廊下に溢れかえり、お母さんはオフィスから自室に戻れない状態だったそうです。一体、誰がそれほどまで多くのマスコミを、あそこに、あの時間に連れて行くことが出来たのでしょう。)。
シャーマンはこれまでたった一人で心細かったのでしょう、シャーマンは妹1と抱き合い、会えたことをとても喜んでいました。
私はシャーマンはお母さんと一緒に暮らしていたというのに「保護」されていることにとても驚きました。私はさっぱりわけがわからなくなりました。そうなるとMEちゃんも、お母さんのMEmamaさんと一緒にいたのですが、こないで済んだかどうか不安になり、MEちゃんはどうしただろう、と探してみましたが、どうやらMEちゃんは来ていません。ますます、わけがわからなくなりました。お母さんと一緒に暮らしていたMEちゃんが連れてこられず、やはりお母さんと暮らしていたシャーマンが保護所に連れてこられているなんておかしい話に思えました。でも、よくよく考えれば、伊藤さんのところも同じですし、私たちにしたところで、下の妹はMASAYAさんの子供であり、一緒に私たちも住んでいたのです。いったい児童相談所の人たちは何を考えているのだろうと、何かを誰かが企んでいるのかしらと、本当に不審に思いました。
61 暫くすると、保護所の職員さん(以下、「先生」と書きます。)が、プレイルームに入ってきて、私達の入所式が始まりました。プレイルームに掲げられた黒板の前に、私達3人は並び、自己紹介をしました。当時、保護所には20人くらいの子供達がいました。先生と子供達全員の自己紹介が終わり、子供達での朝のミーティングが始まりました。保護所に居る期間が長い、一番年長の子が「班長」さんを務めることになってるらしく、班長さんの司会の下、「今日の目標」や掃除の担当場所、その他先生からの報告事項をまとめるミーティングでした。保護所に着いたときに、「一時保護所は、虐待されたり、家出をするなど、ちょっとお家に問題がある子供達が来るところ。」と聞いていましたので、一体どんな子がいるんのだろうと、もの凄く不安でしたが、皆和気藹々としていました。でも、何故私たちがそんなところに来なくてはならないのか、夢なら早く覚めて欲しいとも思いました。
ミーティングが終わると、児童保護課の課長さん(以下、「課長さん」と書きます。)から「ブーちゃんマンさん達、ちょっと来てくれるかな。」と、私達は給食室に案内されました。課長さんからは、「突然こんなところに来ることになっちゃって、とてもビックリしていると思うけど、ここでは安心して過ごしてほしい。ただ、課長さんからのお願い(自分のことを課長さんと言っていました)なんだけど、しばらくは外に出ないでほしい。知っているように、変なカメラマンとか、そういう人がいるかも知れませんから、申し訳ないけど、ちょっと我慢していて欲しい。」という話でした。実はこの日は、週に一度の「所外活動」の日に当たっていて、他の子供達は外へ出かけていきました。でも、私達3人は、カメラマンなどマスコミ関係の人が彷徨しているので、施設内で過ごしていてほしいということでした。