子供たちからの声

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第五-26

62 「保護」された子供達が、「一時保護所」という場所でどんな暮らしをしていたかについて、お話しておきます。
この一時保護所は、栃木県中央児童相談所の併設施設でした。中の様子が見えないように、背の高い植樹で囲われています。
栃木県の県南、県北、中央の各児童相談所に「保護」された子供達が、「措置」が決定するまでの期間、過ごす場です。私の記憶では、一番小さい子で3歳、最高で17歳までの子が保護されていました。
子供達が普段過ごすのは1階の大きなプレイルームで、外で遊びたければグラウンドもありました。体育の時間は2階の体育館で行い、食事は給食室で食べます。夜は2階の居室で休みます。居室は男の子用に2部屋、女の子用に2部屋で、どの部屋も大体8畳ぐらいの広さだったと思います。保護所にいる子供達は、朝6時半に起きて、グラウンド内での散歩をして、朝のミーティングを行います。
そして、平日は午後3時ごろまで、それぞれの年齢に合った自由勉強をします。
毎週木曜日だけ、「所外学習」として、アスレチックや博物館を見学に行ける日になっていました。その後の時間はフリータイムとして、テレビを見たり、グラウンドや体育館で遊ぶなどして過ごしていました。夜7時に日記を書き、小さい子から順にお風呂に入り、午後9時から10時までに2階の居室で休むことになっています。
でも、中学2〜3年生ぐらいの子は居室に移っても、おしゃべりしたり、ふざけたりして0時過ぎまで起きていました。また、2階の入り口と男の子部屋・女の子部屋の境目には鍵がかかるようになっていて、1階に行ったり、お互いの居室に出入りすることはできなくなります。土曜日、日曜日は、少し起床時間が遅くなり、勉強もなく、終日フリータイムを過ごします。プレイルーム・グラウンド・体育館で遊ぶ以外に、保護所にあるDVDを、一人一日一枚ではありましたが、借りて見ることは出来ました。日中は、児童家庭科の課長さんはじめ、数名の職員さんが隣の職員室にいて、勉強時間は勉強の手伝いをしたり、小さい子達の面倒を見ています。
夕方からは嘱託員の学生さん2人が加わり、職員さんは一人になります。テレビ以外の外部からの影響は、徹底的に排除されていて、保護所にいる間、誰にも電話をすることが出来ません。
手紙はこちらから出すことは可能ですが、親からの手紙などはほとんど届きません(状況・内容にもよるのだと思いますが)。
施設内には監視カメラがいくつもありました。また、窓という窓、ドアというドアにはセンサーがついていて、少しでも開けると、職員室のブザーが鳴り響きます。このセンサーは時間ごとに先生が必要に応じて解除するようになっていて、夜にはすべてのドアのセンサーが働いていました。子供の誰かがいたずらしたり、誤ってドアに体当たりしてしまい、ブザーが鳴ったことが何度かありましたが、職員室のモニターで、どこの窓が開いたかが一目でわかるようになっていて、先生がセンサーを止めに走っていったりしていました。厳しく言えばまるで囚人のようだと思ってください。勝手に抜け出すことはできないのです。

63 こうして「一時保護」された子供達は、殆どの時間を施設内で過ごし、外部の影響から完全にブロックされた中で生活するのですが、その間に児童相談所の心理判定員が訪れ、これまでの生活がどんな生活だったのかなどを聞き出したり、知能テストや心理テストの調査結果から、家に戻る、施設に行く、里子に行く等、今後の判断が決まり、家に帰ることに問題があれば、施設に行ったり、里子に出されていくわけです。大体、1週間から2週間で、子供達は措置が決まり、一時保護所からは退所していきます。
普通の大人がされたなら、監禁されたと思うでしょう。私もシャーマンも、妹1も、全く身に覚えのないことですから、嘘八百をつかれて監禁をされてしまった、そのように理解しました。自分たちは普通に、そして幸せに、自由に暮らしていたのに、どうしてこんなところに閉じ込められなきゃならないのか、そう思いました。この原因を作った者を私は一生許しません。間違ってしまったなどということではないからです。
こんな生活が、そのあと2ヶ月も続くことになろうとは、夢にも思いませんでした。

64 私達3人は、外にはマスコミがいるということもあって、他の子供達が所外学習に出かけている間、保護所内でひっそりと本を読んだり、絵を描いたりして過ごしました。
「私達の検査っていうはいつ始まるのかな?」
と、私は自分達が呼ばれるのはいつかいつか、と待ちわびていました。
しかし、一向に呼ばれる気配はありません。そうこうしている間に、皆所外学習から帰ってきました。
木曜日はこれで勉強が終わりなので、あとはフリータイムです。
保護所の先生達に比べて、保護所に居た子達と打ち解けるまで、さほど時間はかかりませんでした。プレイルームで突然、腕相撲大会が始まりました。部屋の隅で退屈そうにしていた私は腕相撲に誘われました。私が躊躇している間にも腕を引っ張られて、なぜか歓声が上がりました。私は腕力が強かったのか、あっという間に皆降参してしまい、すっかり人気者になってしまいました。あんまりの騒ぎに、保護所の先生達もどうしたの?と様子を見に来て、一緒に歓声をあげていました。そんなことをしている間に、最初の日が終わってしまいました。
「明日には検査が始まるだろう。検査が終われば帰れる。」という期待と不安でいっぱいの思いを胸に、今日もまた疲れ果てて眠りました。横では女の子達が騒いでいましたが、その子たちと一緒に騒げるような心境ではありません。
とにかくこの誤解を解くにはどうしたらいいのか、どうやったら帰れるのかで、頭の中はいっぱいでした。



第五-27へつづく

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最終更新:12月18日

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