子供たちからの声

このサイトは、紀藤弁護士・HTPのメンバーたちのために、言われもない虐待の疑いをかけられた子供が、
日本中の沢山の人々に真実を伝えるために、立ち上げました。
また、この事件のように法律を利用した事件について考えていくサイトです

Profile
自己紹介

公開陳述書

経緯・おさらい
過去の経緯・まとめ

メッセージ集

LINK
関連サイトリンク集です

メッセージボード
休止中です

サイトマップ

トップページ>公開陳述書

第五-4

20. 父が受けたMASAYAさんのセミナーで、父のアシスタントをしていたNTさんは、病に倒れた父の事や、私達のことをとても気にかけてくれていました。母はよく父のことでNTさんと電話で話していました。
ある日、偶々母が病室におらず、私と妹1と父の3人だけだったとき、病室の内線電話が鳴ったことがあります。この時の電話は実はNTさんだったのですが、父は「よいしょっ」とベッドから降り、受話器を取り、とても嬉しそうな顔で話し込んでいました。
ひととおり話して受話器を置いて、「NTのヤローからの電話だったよ。」と、更に嬉しそうな顔をして笑っていました。
後日、母にこの話をすると、「お父さんが部屋の内線を取ったのは初めてだわ!」と驚いていました。父は内線が鳴っても自分では取らなかったそうです。
電話の他にも、NTさんは沢山の手紙を書いて、父に送ってくれていました。個室に移った父は刻々と近づく死を覚悟していたようで、母に「MASAYAさんはじめ、沢山の方々に本当にお世話になった。NTさんに『ありがとうございました。』」と伝えてほしい。」と頼んでいたそうです。

21. 母は父の病室にテレビデオを持ち込み、過去のMASAYAさんのコンサートビデオを父と一緒によく見ていました。
父の調子さえよければ、その年の9月にある、渋谷オーチャードホールでのMASAYAさんのコンサートに皆で一緒に行きたいねと、話していました。
父はトイレまで自力で歩いていましたし(最期までそうでした)、何度か先生から外出許可が下りることもありましたから、9月のコンサートまでに、体調が整ってほしい。そして一緒に出かけたい。私はそう心から願っていました。でもその願いはついに叶いませんでした。
8月29日、この日は、2週間に一度の福島の祖父母宅から新潟の自宅に帰り、父のお見舞いをする日でした。祖父母と共に車で出発し、暫くしてから、母方の祖母が真剣な目をして「ブーちゃん、びっくりしないでほしいんだけど、お父さんね、今朝血圧が60を切っていたの。」と言われました。当時の私は、この血圧が60を切ったということの意味が全くわかりませんでした。今日はお父さん少し具合が悪いのかな、という程度の理解でした。
病院に着き、父の病室に入ると、父はいつもどおりの笑顔で私たちを迎えてくれました。いつもと何も変わらずにベッドから起き上がり、「あのさ、ちょっと腰が痛いんだ。揉んでくれない?」と俯せになることも出来ました。
そんな父の様子に、朝の祖母の話は一体何だったのだろうと思い、悪いって聞いたけれど、ひょっとしたら父はこれから治っていくんじゃないかと、思っていました。
私たちが着いてから少し経った頃、父の姉(私から見れば叔母さんです)が見舞いに来ました。叔母さんはある女子大学の助教授をしている人で、毎日とても忙しくて、なかなか父のお見舞いには来られませんでした。
この日はたまたま休みが取れ、父方の祖母も、叔母さんの予定に合わせて、私達のお見舞いの日程を組んでいたそうです。
母は、親子3人水入らずで話せることなんて滅多にないだろうからと、一旦私と妹1を連れて、家に戻ることにしたそうです。
それじゃあまたあとで来るからねと、父に別れを告げ、ひとまず家に帰りました。まさか、この数時間後に父が死んでしまうとは夢にも思いませんでした。

22. この日の夕方6時頃、久々の新潟の家でのんびり過ごしていたところへ、病院から電話がかかってきました。
夕飯の支度をしていた母が電話を取り、びっくりした声で、「えぇ!!わかりました。今すぐに行きます。」と答えて受話器を置き、「ブーちゃんマン!妹1!お父さんの病院に行くよ!」と大声で言いました。
リビングにいた私も妹1も祖父母も目を丸くして母の方を見て、「どうして!?」、「いったいどうしたの?」、「何があった?」と口々に言いました。母は私と妹1に身支度をするように急かし、祖父母に電話の内容を口早に伝えました。祖父母も仰天し、母は「まずは私達3人が先に行きます。お母さんたちはとりあえず食事をしたら、すぐに来て!」と、夕食の支度を手早く済まして、母と私と妹1は飛び出すように家を出ました。
マンションのエレベーターの中で、母は目に涙を浮かべて、「今日でお父さんとお別れかもしれない。」と言いました。
父の病気がガンとわかってから、ただの一度も、それが治らない病気だなんていう言い方を、決して私達にしなかった母が、初めて口にした「お別れ」という言葉に、私と妹1は唖然としました。「まさか。あんなに元気だったのに、死ぬわけない。絶対治る。絶対治る。絶対治る…。」と心で願いながら、私は病院に向かいました。



第五-5へつづく

トップページ

はじめに

サイトマップ

自己紹介

事件の真相真理について

公開陳述書
最終更新:12月18日

目次

今回の事件のおさらい

最近のニュース

ブーちゃんマンの一言

MASAYAさん達・
(株)ホームオブハートとの出会い

紀藤弁護士・HTPについて

心ある方々のメッセージ集

リンク集

ブログ

MASAYAさん公式サイト

寄付金募集中

これからも、真実を日本中にとどけるべく、寄付金を募集しております。
こちらのメールにてご連絡くださいませ。

守谷香 Wanku(わんくぅ) Official Blog Powered by Ameba

CopyRight © 2004-2012 子供達からの声. All rights reserved.
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送