子供たちからの声

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第五-5

23. 病室に入ると、そこでは担当のお医者さんと看護婦さんがいて、父を診ていました。
ベッドに寝ている父は、病室に入ってきた私たちに気づき、顔を向けました。
母が話しかけると父は何の変わりもなく頷き、話もしていました。一見、元気そうな父でしたが、父の手を見ると真っ白で、触ると冷たくなっていて、まったく動きませんでした。
そんな父をひっきりなしに診る先生の顔は険しく、看護婦さんに次々と指示をして、父の周りには様々な器具が配置されてゆきました。
暫くして祖父母と父の姉が到着し、皆で父の最期を看取ることになりました。死んでゆく顔なのに、その顔はあまりにも嬉しそうな笑顔でした。
母は「何か、言いたいことはないの?」と父に問いかけました。「いや、もう何もないよ。」父は笑顔で答えていました。私と妹1は、どうにかしてこの冷たくなってしまった父の手を温めようと、必死で手を握り、さすっていました。
私は、奇跡が起これば・・、魔法が使えれば・・、どうか先生の薬が効いてくれば・・、今ここにいる皆の思いが伝われば・・、こんなことはどうか夢であってほしい、神様仏様どうか助けて、と藁にも縋る思いで、涙を堪えながら必死で手を握り締めていました。父は、最期まで目を開けたままでした。いつ死んでしまったのか、全くわかりませんでした。

まるで時が止まってしまったように思いましたが、先生が父の胸に聴診器を当て、腕時計の時刻を見て、初めて父が死んだのだということがわかりました。午後7時40分頃でした。
母方の祖母は「もういいよ、お父さん。目を閉じて。ゆっくり休んで下さい…。」と言いながら父の目に手を当てて居ました。
父方の祖母は人が変わったようにおいおいと泣きはらし、父の遺体にすがって「本当に立派だった…強い子だった…気持ちの良い子だった。よかったね、やっと楽になれて。本当によかったね。」と言っていたのが、印象に残っています。私はといえば、目の前で父が死んでしまったという信じられない現実に、唖然としているばかりでした。
どうして、お父さん死んでしまうの、あんなに元気だったのに。一緒にコンサートに行こうって約束したのに。と、溢れる涙を止められませんでした。
これで、病院でお父さんにしてやれるお手伝いは最後と、私と妹1は泣きながら、父の身体を拭いたり、母が家から持ってきた、一番父に似合っていたポロシャツとジーンズに着替えるのを手伝いました。
旅立つ父に着せてあげた服が白装束ではなかったことが、今思えば唯一の救いです。
なぜなら、死んでしまっても、いつもの父でいてくれた、それも一番父が気に入っていた、一番かっこよかった父の姿でしたから。
今にも「ああよく寝た!」と言って、起き上がってきそうなほどの、いつもの父の姿でした。

24. しかし、現実は、どんなに願おうが、どんなに泣こうが、父はもう帰ってきません。
父は病室から、病院に来た霊柩車へと移されました。母と祖母、叔母さんも一緒に霊柩車に乗り、福島へと出発しました。
父の車を追って、私と妹1、母方の祖父母も福島へと向かいました。父が亡くなったのは新潟の病院なのに、どうして、わざわざ福島へ向かうことになったかについては、またあとでお話ししたいと思います。
福島の祖母の家に到着し、和室に静かに横たわっている父のところに、私は何度も何度も近づいて、本当に死んでしまったのかしら、気を失っているだけではないかと、諦め切れずに様子を見にいきました。
しかし、父はもう近寄ってきた私のことに気づきません。私は仕方なく部屋を出るしかありません。

翌日から、母と祖母は父の訃報を聞きつけて、駆けつけた人たちの応対に追われ、一日中バタバタと慌ただしくしていました。
私も、父が死んでしまった今、私がしっかりしなきゃと、お客さんにお茶を出したり、お菓子を用意するなど、母と祖母の手伝いを一挙に引き受けていました。
そんな応対をしている私の姿を見た親戚の人たち、父と親しい人たちは、「お姉ちゃんは、しっかりしてて偉い子ね。」、「お母さんのことを、これからも支えていくんだよ。」と、口々に私のことを褒めてくださいました。
でも、大好きな父が死んでしまったショック、悲しさに、何も言えませんでした。
ますます、私が支えるんだと、必死になるようになり、父にしたような喜びからお手伝いをしていたのではなく、私がやらなきゃという義務感から、お手伝いをしていたように思います。



第五-6へつづく

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最終更新:12月18日

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