子供たちからの声

このサイトは、紀藤弁護士・HTPのメンバーたちのために、言われもない虐待の疑いをかけられた子供が、
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第五-42

89 5月31日、熱が下がり、思考能力も殆ど回復した私は、またいつものように「班長さん」の役目を務め、普段と変わりなく過ごしていました。
そして、午後になって、約束どおりTNさんが保護所に来ました。私達3人は、別々に呼び出されました。私はTNケースワーカーを真っ直ぐに見て、「私はお母さんのもとへ帰ります。それしか、私達に道はありません。」と、答えを言いました。私の言葉を受け取ったTNケースワーカーは頷きはしましたが、「でも、もしかしたら、希望している方には進まないかもしれませんよ。」と、言いました。「構いません。私は自分の力で、必ず帰りますから。」と、私は答えました。最後にTNさんは「また、何日か後に、お母さんと一緒に来て、これからのことをいろいろ話すから。」と言って、面会を終えました。私はプレイルームに戻り、次の番の妹1を呼びました。「頑張って。」という私に、妹1は頼もしい位に毅然とした瞳を向けて、「うん!」と答えてTNさんのもとに向かいました。

90 6月1日、まさかこんなにも早く、急に物事が展開するとは、夢にも思いませんでした。
プレイルームにいた私達3人は、急に課長さんに呼びだされました。なんと、TNケースワーカー、県北児童相談所のAK課長さんが、母と一緒にこれからのことを話しにきたとのことでした。私達は驚きました。たしか、お昼過ぎだったと思います。暫くすると、TNケースワーカーさんと、AK課長さんと、私の母、シャーマンのお母さんが、一時保護所の玄関に現れました。私達は1ヶ月ぶりの母に抱きつき、AK課長さんの案内のもと、隣の中央児童相談所の少し広めの面会室に案内されました。私達3人と母、シャーマンのお母さんは並んで席に着いて、向かい側にはTNさん、AK課長さんが座りました。
テーブルの上で手を組んだAKさんが、口を開いて、「お母さんと一緒に暮らす、ということに―」とAKさんが言い始めた途端に、私達は「やったぁー!!」と声を上げました。しかし、AK課長さんは続けて、「代わりに、アパートに引越し、株式会社ホームオブハートの人達とは関係なく、暮らすことになりました。」、「週に何度かは県北児童相談所に通ってもらい、普段は適応指導教室というところに通うことになりました。」という説明をしました。
これからも、引き続き、児童相談所の監視のもとで、生活しなくてはならないのか、と私は肩を落としました。もう、私達のことは放っておいて欲しい。これまでのように静かに暮らさせて欲しい。という願いは、遂に叶わない、哀しい結果でした。でも、まずは母のもとに帰ることが出来る。母達も本当に嬉しかったのでしょう、目を潤ませていました。でも、1ヶ月前に比べ、母は頬がやつれているように見えました。
この2ヶ月間、母達もマスコミに追われ、「虐待をした母」という目に晒され続けたのですから、さぞかし母も大変な思いを沢山味わってきたと思います。
あの勝気な母ですら、こんなにも疲労して、やつれているわけですから、MASAYAさんやぶたママさんは、大丈夫だろうか、具合を悪くしていないか、とても心配になりました。

最後に会った時のぶたママさんの顔をこの2ヶ月間、片時も忘れたことはありませんでした。MASAYAさんにいたっては、最後に会うことも出来なかったので、電話で聞いた声を、何度も何度も思い出し、心の支えにしていました。
保護所を出たら、真っ先に皆に会いたい、そんなことを思っていた矢先に「もちろん、ホームオブハートやトシオフィスの関係の人達に会っては駄目ですよ。もし、守れないようだったら、A学園行きも、考えられますから。」などと、いままで不機嫌そうに座っていたTNケースワーカーが、そう言い放った途端、私ははらわたが煮えくり返り、「えぇ!!!どうして!!」と、驚愕しました。

妹1も母もシャーマンもシャーマンのお母さんも、同じ気持ちでした。AK課長さんの話では、今回の措置は、まず子供達の住む環境を、改善することが目的であり、いままでのような、子供の居場所と会社が一緒になっているようでは不適切だということになった、そういうことだそうです。なんとも取ってくっつけたような理屈を言います。これでは、完全にホームオブハートとトシオフィスは悪者扱いのままじゃないかと、私は怒り狂いました。
しかし、ここで食って掛かったところで、事態がよくなる兆しはないので、ひとまずは、児童相談所との約束をしっかり守ることを、AK課長さんらに約束しました。私達は翌日の6月2日に、一時保護所を退所し、西那須野町(現:那須塩原市)に母達が借りたアパートで生活することが決定しました。

面会が終わり、私達は保護所の先生方、気の合う子供達に明日退所することを伝えました。一番の望みは叶わなかったけれど、せめて、母のもとに帰れることを伝えると、「本当に良かったね!本当に長かったけど、よく頑張ったよ。」と抱きしめてくれた先生もいらっしゃいました。



第五-43へつづく

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最終更新:12月18日

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