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第五-43
91 6月2日、私達は、一時保護所から借りていたジャージ、タオルなどを返し、保護されたときに着ていた服に着替えました。最後の給食を食べ、私は給食のおばさんに、「今日で私退所します。いままで本当にありがとうございました。おいしかったです。」とお礼を言うと、おばさんはカウンター越しに私の肩をたたいて、「よかったね!こちらこそありがとう!」と言ってくれました。
退所式を終えると、玄関には母が来ていました。シャーマンのお母さんも一緒です。私は保護所の先生や子供達に見送られる中、一時保護所を後にしました。
92 私達は、学籍をM中学校に変更しましたが、中学校に通うつもりはなかったので、近所の適応指導教室に通うことになりました。
でも、いつまたマスコミに遭遇するかわからない、いつ、子供達が撮影されるかわからない状況下ですから、私達3人は自転車を買ってもらい、子供達だけで外に出る際は必ず私が携帯電話を持って一緒に付き添い、用事が済んだら寄り道せず、まっすぐに家に帰るようにしました。
また、AK課長さんの言ったとおり、週に1度か2度、児童相談所へ行き、心理判定員との面会や、「不登校グループ」という不登校の子が集まって、2時間程度、ドッチボールや人生ゲームなどの遊びを楽しむ、といういわゆるレクリエーションに参加することになりました。
適応指導教室とは、虐めなどで学校に通えない子が来て、たとえば畑作りを体験したり、それぞれが好きなこと、やりたいことをやり、勉強がしたければ、ちゃんと教えてくれる人がいる、そんな場所でした。適応指導教室での私達の様子は、私はぶたママさんに習えない分、自分で経理や簿記についての本を買って読んでいたり、インターネットで今回の事件のことを調べたり、というようなものでした。妹1とシャーマンは、館長さんが飼っているラブラドールレトリーバーが2頭いましたので、2人とも大喜びで一緒に遊んでいました。ほかにも、妹1とシャーマンは、先生に連れられて川遊びに行ったりと、ようやく安心して遊ぶことが出来る場所が出来た嬉しさから、本当に楽しそうに遊んでいました。
その一方で、私は妹達、お母さん達、MASAYAさん、ぶたママさん、BOBOさん、TOSHIさん、出山香さんらに屈辱的な思いを味わわせた紀藤弁護士らが、日本中に思い込ませた嘘を覆すにはどうしたらいいかと、考え始めました。そんな日々のうちに、私はHPを開設することを決意しますが、そのことは、また後に詳しく書きます。