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第五-44
93 このような形で私たちは一時保護所を後にしたわけですが、今、私はホームオブハートに勤めていますし、私の母もホームオブハートに復職しています。
これは、シャーマンのお母さんも同じで現在はトシオフィスで働いています。Tmamaさんだけは、私たちの解放後、更に半年もの間、子供を乳児院に取られていたままでしたので、とてもあの恐怖の日々は思い出したくないと、福岡に今は転居しています。
でも、マスコミやまたあの紀藤などという独りよがりの弁護士に判られたくないため、実際の住所は公にはしていません。実際のところ、児童相談所での調査はその後も続いていましたが、結局、ホームオブハートのセミナーに特に問題があるとか、教育についての考え方に問題があって私たちがそれを押しつけられているなどという関係にはそもそもありませんから、私の就職に当たっては、そこが一番いいでしょう、とまで言われています。
これが何を意味するものなのかは、お分かりいただけると思います。
通告に何の実体も伴っていないことは、ようやく、最終的に判って貰えている、ということです。
この間、私たちを早く帰すために、MASAYAさんは、児童相談所の所長に頭を下げられて、児童相談所を訴訟の対象にはしない、そんな約束までし、一部譲歩して、まるで何もなかったという形で終わることだけは避けることに、協力しました。ほんの一部の、譲歩ですが、誰かの面目は立ったのでしょう。
当初、児童福祉法が改正されて、初の児童虐待通告に基づく立ち入りともてはやされたあの事件は、今は跡形もなく、まるで何もなかったかのように、記録、そして記憶から消し去られています。初の事例なら、リーディングケースとして、通常はその後のそうした児童虐待事例の判断基準にもなる筈でしょう。
ところが、誰もが何も言わなくなりました。
マスコミが一体何をしたのか、何をしなかったのか、マスコミ自身が知っているのではないでしょうか。MASAYAさんが、腑が煮えくりかえる思いをしたかと思います。
でもあのようなマスコミ報道が、全国で繰り返される中、とにかく、子供達が早く帰ってくるのが一番だと、引き下がりました。
あれで誰の首がつながったのか私は知りませんが、正義が全てとおるのではないのかと、あのとき思いました。
それでも、一時保護所から始まり、児童相談所もやがて事の真相を理解しました。
ただ一点、問題があるとすれば、私たちが学校には行っていなかった、不登校であったということだけです。
でもそれは私、妹1、シャーマンの決定です。今も「子供達へ」などという文章を書いて取り繕っている自称人権派とかいう弁護士に言いたいと思います。
机上で私たちの生活を裁いた第一審の裁判官にも言いたいと思います。
児童虐待の問題は、最後の砦として私たちの不登校があげられました。
でも、繰り返しますが、私と妹1、シャーマンの自分自身の、子供自身の決定です。あの状況で学校へ行っていることだけがよいとしか考えないのなら、子供の事件をやる弁護士の資格なぞ、断じて、そもそもありません。
さて、ならばそもそも就学年齢になど達していなかった、そして8ヶ月を超す期間、それまでの保護環境から強制的に離脱させられた(〜させられた、とは正にこんな時に使う言葉の筈です。)下の妹、T君らについては、一体どんないいわけをするのでしょうか。
この、取り返しのつかない時間を、あなたたちはどうやって埋める覚悟があるのか、私は問いたいと思います。
この、思いつきで行われたような、くだらない事件の後始末を、どうするおつもりですか、と。