公開陳述書 第五-7 −子供たちからの声〜MASAYAさん・Toshiさん・ホームオブハートの本当の真実〜

子供たちからの声

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第五-7

28. MASAYAさんの曲がバックに流れる中、葬儀は終わりました。父を火葬するときが、遂に来てしまいました。
火葬場へ向かう前に、もう二度と見ることの出来ない、父の顔をしっかりと見つめ、死んでも忘れないよう、目に焼き付けました。
いよいよ火葬場に到着し、父の入った棺は、機械の中へ運ばれていきました。
もう本当に、二度と、父を見ることが出来ないと、私も妹1も、わんわんと泣きながら、父を見送りました。
火葬が終わるまで、別の建物で待つよう、火葬場の方に案内され、参列にきた人々は次々と移動していきました。皆が歩いてゆく中、母は一人立ち止まり、雨の降る中、父を燃やしている建物の煙突を見つめていました。そんな母を見かね、父方の祖母が、「何をしているの、風邪をひいてしまうよ。」と母に声をかけていました。母は、「けむりを見ているの。」と静かに答え、傍らにいた私も、母が見ている煙突を見つめました。
「けむり」というより、かすかに空気が揺れて見えるだけでしたが、それだけでも、十分でした。
最後まで父と共にいたい。という母の思いを感じ、更に涙が溢れました。
あれほど厳しかった祖母もきっと泣いていたのだと思います。
俯いて、顔を向けぬまま、「でもね、寒いわ。中へ入りましょう。」と母の肩を抱き、とぼとぼと、建物のほうへ歩いていきました。

29. それから、何時間たったのか、私や妹1は待ちくたびれて眠ってしまったぐらい、長い時間が経ちました。
ようやく火葬が終わったということで、私たちは元の火葬場に戻り、そこですっかり変わり果てた父の姿を見ました。
所々からすすり泣きが聞こえました。私は本当に小さかった頃に、母方の曾お婆さんのお葬式に立ち会ったことはありましたが、父の変わり果てた姿は、衝撃でした。
最初に母と私と妹1の3人で、父の骨を骨壷に入れました。太く、しっかりとした骨で、母は泣きながら、「お父さん、骨太だったね。」と言いました。
あんなに大きかった父が、私でも持てるような、驚くほど小さな壷に収まってしまう。骨になってしまった父を悲しみました。

30. 父が亡くなってから1ヶ月間ぐらいは、お墓のことや父の職場の荷物整理などが立て込み、新潟の自宅と福島を慌ただしく行ったり来たりの生活でした。
父の職場だったM化学新潟研究所には、母がゆくのに私と妹1も一緒についていきました。
父がどんなところで仕事をしていたのか、初めて知ることが出来ました。
几帳面だった父は、机の中もきれいに整頓していました。机の中には、不思議な顕微鏡写真、難しい資料などの仕事道具のほか、松田賀江さんのポストカードが数枚、大切に仕舞われていました。
本当に物を大切にする人だった、父の面影を思いながら、それらの品々を大切に引き取りました。
そして父の研究室に案内され、父が作ったという、巨大な機械を見せてもらい、父がどんなことをやっていた人だったのか、その時にようやくわかりました。
父の「地球をパラダイスにする」という夢は、「化学者として生きる中で、世界中の化学者達が犯した過ちの責任をすべて僕が取り、地球をパラダイスに変えること」と母に話していたそうです。
父は、高校生の頃から、「老子」や「荘子」の本を読んでいて、感銘を受けており、人の愚かさ、そこから来る地球破壊に心を痛め、この地球をパラダイスにしたいと言っていたそうです。
母と結婚し、ワーナーエアハードのセミナーに初めて参加し、自分のことを観たときに、化学者である自分がこの地球を破壊している、自分には責任があるんだ、ということに気づいた。これまでは「夢」として思っていたけれど、「自分自身に責任がある」という現実を知り、よりいっそう、「地球をパラダイスにする」ことへの願いが深まった。と母に話していたそうです。
それから数年後に、MASAYAさんのセミナーに出会い、「MASAYAさんの生き方は愛とロマンに満ち溢れている。あんな生き方を自分はしてこなかった。自分が化学者になったのは、天才のような頭脳を持つ姉に負けないようにと、化学者になり、戦ってきた。僕はMASAYAさんのことを心から尊敬する。」と、セミナーを受けて、これまでの人生を見つめる中で、父が見出したのが地球をパラダイスにするという夢であり、これがセミナーでの父の生きる目的だったそうです。
父の職場はとても広く、一部の場所には「危険」という立て札が立っていたり、大きな機械がモクモクと煙を上げている、まさに「化学工場」でしたが、そんな中で、いつか、地球をパラダイスにするんだと、夢を持ちつづけた父のことを改めて、本当に素晴らしいお父さんだった。もっと一緒にいたかった。そう思うのでした。

父とゆければと思っていた、東京のオーチャードホールでのMASAYAさんのコンサートも、あまりの忙しさに行くことが出来ませんでした。
私は、父が元気だった頃から、父があまりにMASAYAさんに傾倒していましたので「マサヤさんって一体どんな人だろう。」と思っていましたし、母に言い残した父の遺言から、ますますMASAYAさんという人に会いたくなり、本当はこのコンサートに行きたかったのですが、どうしても忙しく、行くことが出来ませんでした。



第五-8へつづく

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最終更新:12月18日

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