子供たちからの声

このサイトは、紀藤弁護士・HTPのメンバーたちのために、言われもない虐待の疑いをかけられた子供が、
日本中の沢山の人々に真実を伝えるために、立ち上げました。
また、この事件のように法律を利用した事件について考えていくサイトです

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第九

72 平成12年3月末から、私達の新しい生活が始まりました。ホテルでのお手伝いも沢山やりました。どれも楽しかったですが、特にベッドメーキングとパン作りは大好きで、いつもスタッフの人と一緒にやっていました。このことが、紀藤やYyたちの悪だくみのせいで「子供がさせられている。」と、言われていますが、それは全くのでっち上げです。本当に屈辱的です。これは、私がやりたくて、やっていることであって、「やらされた」などということではありません。本当に頭にきています。ホテルのオプションで白谷雲水郷や屋久杉ランド、海がめの産卵ツアーなどに行くお客さんと一緒に私もついて行く事もありました。
中でも海がめの産卵ツアーは私の一番好きなオプションで、ほとんど毎回一緒に行ったと思います。
海がめがなかなか産卵に来なくても、砂浜に寝そべって空一面にまたたく星を眺めるのは、素敵なひと時でした。時々、カメがなかなか来てくれなかったり、途中で雨が降ってしまったりなどのアクシデントもありましたが、大好きなカメのすぐ近くに近づけただけでも、私にとっては感動的な瞬間でした。他にも山にキイチゴを摘みにいったり、海に行って軽石や貝殻を集め、それでリースやネックレスを作り、山からは藤のつるを沢山採ってきて、可愛いカゴを作りました。私は、リスやネズミのぬいぐるみを沢山もっていたので、その子達のお家にしました。
時々、ホテルから約1キロ位歩いた所に「長井商店」と言うお店があって、姉と二人でお菓子などを買いに行きました。長井商店のおばちゃんは、ときどきお菓子をサービスしてくれるので、大好きでした。屋久島に引っ越してきたばかりの頃、長井商店に向かう途中、地元のおばあちゃんが向こうから歩いてきたので、「こんにちは」と挨拶したら、「おみゃーらどごのなにださごら」というようなめっちゃくちゃの方言で話しかけられてしまったので、とてもビックリしました。たぶん、そのおばあちゃんは「あなたたちはどこから来たの?」ということを言いたかったのだと思いますが、私も姉もなんて言っているのかまったく聞き取れず、何度も聞き返しましたが、とうとうわからず、結局そのおばあさんと10分以上話し込んでしまいました。という風に、本当に自由に暮らしていました。
屋久島に時々、MASAYAさんやMEちゃんが来てくれるのですが、とても楽しみでいつも待ちどおしにしていました。母からは新しい学校に行くことも勧められたり、学校に見学にも行ってみたのですが、もういじめや競争、勝ち負けにはこりごりだったので学校には行かないで、大自然の中で遊びまわったり、ホテルのお手伝いをするほうを選びました。どの手伝いも、私がやりたくてやったもので、今思えばスタッフの人たちにとっては結構迷惑だったと思いますが、それでも、私や姉のやりたいことを尊重し、何でも好きにやらせてくれて、私はとても嬉しかったです。

73 平成13年の3月頃、あまりにも私と姉が学校に行こうとしないので、心配していたMASAYAさんが「そんなに学校に行かないのなら、せめて何か勉強になることを始めたら?」というようなことを姉に言ったらしく、姉がなんだか嬉しそうな様子で、「東京にお勉強しに来てもいいよ。って言われたんだけど、行くよね?」と聞きに来たので、「わーい!行きたーい!」と即答して、母に行ってもいいか、聞きに行きました。母は最初「えー2人だけで行くの?!」と全然乗り気になってくれませんでした。私と姉で何とか母を説得して、ようやく「じゃあ、いってらっしゃい。」と、OKを出してくれました。それでも、心配性な母は姉に「これ使いなさい。」と携帯電話を持たせてくれて、私達は意気揚々と東京へ出かけて行きました。

74 東京に行ってからは,麻布にある有栖川公園に、MEちゃんとHさんと姉と私の4人で、毎日のように遊びに行きました。有栖川公園で、たっぷり遊んだ後に、Hさんが「サーティーワンアイスクリーム」に連れて行ってくれて、4人でアイスクリームを食べました。ホームオブハートの社長のぶたママさんが飼っていた3頭のヨークシャーテリアも一緒に連れて行きました。さっきも書きましたが、ぶたママさんは私達にとってのお母さん代わりで、東京に来ているときは、とても面倒を見てもらいました。ぶたママさんも、とても子供が大好きな方で、私達のことをとても可愛がってくれました。私がお菓子作りが大好きという話をしたら、「じゃあ、何か作ろうか。」と言って、お店に連れて行ってくれて、一緒にお菓子の材料を買いました。ぶたママさんもお菓子作りが上手な人で、私の隣で「コツ」を伝授してもらいました。粉の混ぜ方のコツを教えてもらったときは、おかげで、今までよりもふっくらしたスポンジが焼きあがりました。生クリームをあわ立てている時に「賀江がね、生クリームが大好きで、自分で1パック分の生クリームをあわ立てて、ボウルごとスプーンですくって食べてたよ。「おいしい?」って聞いたらすごく嬉しそうにうなずいてたんだ。」としみじみ言っていました。
亡くなった松田賀江さんはぶたママさんの大の親友だったのです。MASAYAさんや私達と同じく、ぶたママさんも、なんとか賀江さんを助けたいと必死に看病をしたり、薬を探したりしていましたが、悲しいことに亡くなってしまいました。このつらさ・痛みをわかちあえる数少ない人でした。有栖川公園は、賀江さんも、生前いつも遊びに来ていた公園で、まさか大都会のど真ん中にあるとは思えないほど、キレイな公園でした。

75 このころ、MEちゃんはMASAYAさんに買ってもらった「トラの服」が大のお気に入りで、毎日のように着ていました。洗濯する暇もないくらい、毎日来たがるのでもう一着追加で買うことになってしまったぐらい、大のお気に入りでした。MEちゃんがどうして「トラ」が大好きだったのか、詳しく書きます。これは、私達に疑われたもっともむかつく思い出を覆すため、はっきりと書きたいと思います。
子供なら誰でも、大好きになるキャラクターがいます。MEちゃんは「こどもチャレンジ」の「しまじろう君」と「くまのプーさん」に出てくるトラの「ティガー」が大好きでした。私も小さい頃「ティガー」が大好きだったので、MEちゃんの気持ちはよくわかります。そんな憧れのキャラクターになれる洋服をもらった子供が、そのキャラクターになりきって遊ぶことほど、あたりまえなことはないでしょう。ウルトラマンの服を着た子がウルトラマンのポーズを決めるように、MEちゃんは「トラの真似をしただけにすぎない」のです。それを「洗脳」だなんて、あなたたちはバカですか。無邪気に遊んでいたMEちゃんと私の映像を勝手に盗み撮りし、日本中に放映させた、あなたたちを私は死んでもゆるしません。子供だと思って、チビだと思って、バカにしやがって。という思いでいっぱいです。何が「4つ足で走らされてる」ですか。バカバカしすぎて、こっちが嫌になります。まったく、話になりません。もう一度、はっきりといいます。子供がごっこ遊びをすることも、あなたたちは「洗脳」と呼び、でっち上げるのですか。子供が、どんな遊びをしながら、子供時代をすごすのかを、なんにもわかっちゃいない人間だ、ということは明らかです。そして、MEちゃんと私の姿を勝手に使い、全国に放映した大人たち、私は一生、あなたたちをゆるさない。あの「トラの服」を着たMEちゃんは、近所の子供達の人気者でした。「しまじろうが来たー!!」と、皆大喜びで駆け寄ってきたのです。そんな、「思い出の服」が、あなたたちのせいでおどろおどろしくテレビで映された。この悲しみを、あなたたちはどう、つぐなってくれるのでしょうか。本当に、もう信じられません。ひどすぎる話です。

76 平成13年6月頃
もうすぐこの本社が那須にお引越しする、ということをMEちゃんから聞きました。詳しくはわからなかったけれど、どうやら那須のシュタイナーの学校に、MEちゃんを通わせてあげたい。とスタッフの人たちが言っていたことから、お引越しが決まったそうです。MEちゃんに「ねずみちゃんはまた帰っちゃうの?」と聞かれました。私は、MEちゃんや、皆と一緒にいるのがすごく楽しかったので、離れ離れになりたくありませんでした。自分の思いを周りのスタッフの人や屋久島にいる母に伝えて、那須に私達も一緒について行くことにしました。MASAYAさんから、「もうすぐ那須にお引越ししてしまうから、これからは毎日外に遊びに行くんだよ。ここにいられるのもあと少しだから。」ということでしたので、私もMEちゃんも毎日毎日外に遊びに行きました。7月の末から、本格的に引越しの準備が始まりました。大人たちが忙しく荷物をまとめている中、私とMEちゃんは広くなった部屋で思いっきり遊んでいました。そして、とうとう私達も引っ越す日が来ました。私達は新幹線に乗って、新しいホームオブハートの配送センターに向かいました。新しいホームオブハートのオフィスはメインのオフィスと配送センターを担当するオフィスがあり、営業を担当するオフィスは、まだハイランドのオフィスが建設中だったので、黒磯に仮のオフィスがありました。
那須に着き、やっとMEちゃんと会えて、私もMEちゃんも大喜びしました。久しぶりにMASAYAさんや、犬達にも会えて、とても嬉しかったです。配送センターは山の中にありました。森に囲まれ、近くには大きな川があり、さらにMASAYAさんが、「子供達が楽しく遊べるように。」とお砂場まで作ってあって、楽しい遊び場所でした。一方、黒磯のオフィスは自然の中ではなかったけれど、近くに小さい公園がいくつもあったので、晴れた日は私とMEちゃんと姉でよく遊びに行きました。追いかけっこしたりブランコに乗ったり、時には近所の子供と一緒に遊んだ事もあって、とても楽しかったです。

77 そんな暮らしをしている最中、突然私の祖父母が無断で尋ねてきて、ビックリしました。私の祖父母は、昔から孫である私と姉を可愛がり、父や母とも仲良くやっていましたが、父が亡くなってから、何だか母のことを責め立てるようになってしまいました。あまり内容はよく覚えていませんが、「お母さんが外で働くのなら、孫達は私達が育てるよ。」というようなことを、母にいつも言っていました。 ある日突然、黒磯のオフィスに母方の祖父母と父方の祖母が来ていました。私は「私達のことを連れ戻しに来たの?!?!」と心配になりました。ただ会いに来ただけだったと思いますが、私はすっかりそう思い込んでしまって、顔面蒼白になってしまいました。ホームオブハートの社長のぶたママさんに、「せっかくだから、一緒にレストランでお食事でもしたら?」といわれましたが、私は「いや、行きたくない。」」と首を振りました。姉は「やれやれ、どうしようもないばあちゃん達だな。」といった様子で、「行ってやるか。」と言っていましたが、私はどうしても祖父母が連れて帰りそうに思えて、嫌だったのです。でも、姉が行くと行っているので、しぶしぶ私も行くことにして、ぶたママさんに車で送ってもらいました。久々に祖父母に会いました。思ったとおり、祖父母はとても喜んでいました。

78 レストランに到着し、ぶたママさんが「後で迎えに来るからね。」といって、車に乗ろうとした時に、私が泣きそうな顔をしたので、「大丈夫だよ。絶対に迎えに来るからね。」と、言いに来てくれました。姉は仲良しのHさんからこのレストランを勧められていたらしく、早速、Hさんおすすめのメニューを注文していました。「さっちゃんは何がいい?」と姉に聞かれたのですが、すっかり気が滅入っていた私は「おんなじのでいい。」としょんぼりして答えました。「ジュースとかいらないの?」と聞かれたので、とりあえずオレンジジュースを頼みました。それから、祖父母と姉はおしゃべりを始めましたが、私は打ちひしがれた状態で無言でした。せっかくの料理もおいしいとは思えませんでした。最後に祖父母からお土産をもらい、迎えに来てくれたぶたママさんと一緒に祖父母を見送りました。「またいつでもいらしてくださいね。」というぶたママさんの声に「今度は突然来ないでほしい。」と心で思いました。
私の祖父母が、紀藤達に脅されたりしたことは、姉の陳述書に書かれている通りです。私は、祖父母が紀藤弁護士の事務所に行ったという話を聞いて、「やっぱり、取り返しにくるんだー」と、とても怖くなりましたし、ますます嫌いになりましたが、よくよく話を聞くと、紀藤たちの騙しに引っかからず、仲間にならないでくれた、という話だったということを理解して、「ああ、よかった。信じていてくれたんだ。」と安心しました。

第十一へつづく

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最終更新:12月18日

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