子供たちからの声

このサイトは、紀藤弁護士・HTPのメンバーたちのために、言われもない虐待の疑いをかけられた子供が、
日本中の沢山の人々に真実を伝えるために、立ち上げました。
また、この事件のように法律を利用した事件について考えていくサイトです

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第四

27 やっと、児童相談所に着いて、私とMEちゃんは、
「マスコミがいるから、裏口から入ってね。」
と言われ、私とMEちゃんはIさんとOさんに挟まれた状態で、すばやく裏口から中に入りました。裏口から入ってすぐ右側の部屋に案内されて、2人並んでソファーに座りました。IさんとOさんも、先ほど買った大量のおにぎりや菓子パン、お菓子をドサドサとテーブルに並べて、向かい側のソファーに座りました。Iさんは、ものすごい量のご飯をコンビニで買っていました。なんでわざわざこんなに沢山買うんだろう。と、疑問に思ったのですが、いま思えば、児童相談所の人達は私達のことを「ご飯ももらえていない子」として見ていたから、「ご飯を食べさせなきゃ!」と、いっぱいご飯を買い込んだのでしょう。これ、本当に間違っています。私達の生活を欠けらも見たことのない人達、紀藤、Yyのたわ言であることは明らかです。本当にひどい話です。私がチビだからと言って、そんな嘘付かれたらたまりません。

28 私もMEちゃんも、まったくお腹がすいていませんでした。だって、すでに昼ご飯は食べていた(この日は、私の大好きなラーメンをスタッフの人が作ってくれました。)し、まして突然見ず知らずの大人達に連れ出されて、妹とも離れ離れにされて、悲しい思いをしている時にのんびりご飯を食べる気になれるわけがありません。しかし、「食べないのも変な風に思われるかな。」と思った私達は、とりあえず差し出されたお菓子を食べたくはなかったけど、仕方なく食べ始めました。そうでもしないと、この人達はますます私達のことを疑ってくるかも。と、思ったのです。一体なんで、私達がこんなことを考えなくてはならないのでしょうか。今でも腑に落ちません。

29 IさんとOさんも向かいのソファーに座ると、
「私達にこれまでの事を教えて欲しい。」
と、言いました。えっ?これまでのことって?何のこと?どうしてこの人たちに、そんなことを話さなきゃ行けないんだろう?と思った私は
「『これまで』って一体どこからどこまでの話ですか?どうしてそれを話さなきゃいけないんですか?」と聞きました。
「生まれたときから、今まで。」
と答えられて、私とMEちゃんは顔を見合わせて「えぇっ?」と言いました。

「それってどういうこと?」「何でそんなこと話すの?
と私とMEちゃんはお互い、心の中で叫びました。動揺しながらも、
「なんて話そうかな…。」
と考えていたところ、「コンコン」とドアがノックされた音がして、「はーい。」とOさんが答えた途端、「バーン」と勢いよくドアが開き、姉が入ってきました。思いがけない、姉の登場に私は「ブーちゃん!!!」と叫びました。まさか、来てくれるとは思いませんでした。それまで、「私が何とかしないと・・・でもどうしたらいいんだろう。どう話せばいいんだろう。」と心細かった、不安で仕方が無かった私は、頼もしい姉が来て、やっと安心して勇気が出てきました。ホームオブハートの社長さんで、私達のお母さん代わりの大好きなぶたママさんも一緒に来ていたようですが、ドアの向こうで「おーい」というような感じで手を振っていたのがチラッと見えたのですが、すぐに隣の部屋へ行ってしまったのか、いなくなってしまいました。私はぶたママさんの元に飛んでいきたかったのですが、すっかり気が滅入っていた私は足がすくんでしまい、すぐに立つことができませんでした。

30 「どうもこんにちは」と言いながら姉はつかつかと歩いてき、ソファーにどっかりと座りました。顔には見せませんでしたが、姉はかなり怒っている雰囲気でした。児童相談所にさらわれた私やMEちゃんを、取り返しに来てくれたのです。私は姉が来てくれた安心感で一杯で、姉とOさんたちが何を話しているか、全く聞いていませんでした。「ああ、お姉ちゃん達が来てくれた。これで安心だ。よかったー。」とホッと一息ついていました。姉とOさん達とのやりとりで、ひとつだけはっきりと覚えているのが、Oさんから「ご飯は食べているの?」というような質問をされた姉が、「食べてますよ!見てください!!おかげで私はこんなに大きく育ちましたから!」と太ももをバンバン叩きながらしゃべっていたことでした。私やMEちゃんだけだったら、どんなに「いっぱい食べている!」と言っても、見た目が「チビ」だから何も信じてくれないかも、ととても不安でしたが、でっかい姉が登場したからには、もう安心です。それに、姉は喧嘩が強いので、絶対に負ける気がしませんでした。

31 そんな頼もしい姉はしばらくして児相の人に呼ばれてしまい、私もOさんと話をするために別の部屋に行きました。ここからはそばにいてくれる人はいません。またもや不安になってきました。MEちゃんだけが、さっきの部屋に取り残されていました。Oさんはノートとペンケースを取り出し、「どこからでもいいから、今までのことを教えて下さい。」と言いました。Oさんの言い方はとても事務的で、冷たいものでした。私は「何で、こんな人に私の知っていることを話さなくちゃいけないんだろう。こんな人と話したくない。」と嫌な気持ちになったのですが、「でも、これを話さないと家に帰れない。」と思い直して、しぶしぶ話し始めました。    私は、新潟に住んでいた頃父をガンで亡くしたこと、学校に行かなくなったことや、屋久島に引っ越してからのこと、そしてホームオブハートで幸せに暮らしてきた事を一通り話しました。その中で、Oさんはいろいろ質問してきました。「MASAYAさんはどんな話をする人なの?」と聞かれたので「会社の経営の話とか、老子とか荘子って言う人がしているような話です。」と答えました。

32 特に変な質問だと思ったのは「お手伝いって何してるの?」と聞かれた時。私は「いつもご飯を作ってくれるスタッフのIさんのご飯作りのお手伝いとかお掃除とかしてます。」と答えると「無理やりやらされた、とかそうゆうことはなかったの?」と聞いてきたのです。「いやいや、そんなことはなかったです。」と答えたのですが、Oさんの質問を聞いてると、「この人達、私のことを「普通じゃない子供」として見ているんだろうか。そんなことないのに・・・。」と答えていて悲しくなってきました。Oさんは、「ふ〜ん」と言いながらノートに書き続けていました。この話をしている間中、私はただ「早くこんな所(児相)から出たい。早く帰って、みんなに会いたい。」と、それだけしか考えられませんでした。Oさんに「これでいいよ。ありがとう」と言われて、やっとホッとすることができました。Oさんは「ちょっと待っててね。」と言ってドアの外へぶたママさん達の様子を見に行きました。

33 やっと終わった。これで家に帰れると安心したのもつかの間、Oさんが戻ってきて、「まだ話し合ってるから、ちょっと廊下に出てようか。」と言ったので、私はえー!まだ帰れないのー?!とガッカリしました。仕方なく、Oさんに連れられて廊下に出ました。私はMEちゃんがどうしているのか、心配になってきました。なにしろ、それまで一人取り残されたことなんてないのに、たった一人で見知らぬ人と話をしなければならないなんて、とても心細いのではないかと思ったのです。「MEちゃん、どうしてるかな。」とOさんに聞くと、「まだ話してるみたいよ。」と言われたので「会いに行っちゃダメ?」と聞いたのですが、「お話中はダメだよ。」と言われてしまいました。せめて、一緒にいさせてくれるだけでもいいのに、私やMEちゃんの気持ちなんて、まったくわかってくれない、冷たい返事に頭にきました。でも、ここでどんなに言っても「お話中だから。」と突っぱねられるだろうと、私はこれっきり、何も言いませんでした。でも、心の中ではすごくMEちゃんのことが心配で、いてもたってもいられませんでした。

34 二人で廊下を歩いていたら、どこからともなくIさんが現れ、「ちょっと来てね。」と言われたので、ついて行くとAKさんと姉がいる部屋に来ました。AKさんは席を立って違う部屋に行ってしまい、私と姉の2人っきりになりました。私は姉の隣に座ると、姉にかなり深刻な顔で「今日は一時保護所っていう所に泊まってくれって。どうする?」と聞かれて、耳を疑ってしまいました。必ず帰れるって言っていたのに・・・と思いつつ、「姉がそんなに深刻な顔になるぐらいだから、何か事情があるんだろうな、仕方ないことなのだろう。」と思いました。姉は私に、「ごめんね。」と今にも泣きそうに小声で言いましたが、こんなことになったのは,別に姉のせいではないし、なにより、突然家からマスコミの中連れ出されて、私達の事を「虐待されている子供」と信じ込んでいる児童相談所の人達を前にして、どうすればわかってくれるのかもわからず、心細かった私にとって、頼もしい姉が、まるでスーパーマンのように助けに来てくれた事、それだけでもとても安心したし、とても嬉しかったので「来てくれただけでも嬉しかった。」と精一杯の気持ちを伝えました。ただ、正直なところ、どうしてこんな事になったのか、これからどうなってしまうのか、疑問と不安な気持ちの方が大きかったです。

35 その後、ずいぶん長い時間待たされました。たぶん30分以上は姉と2人で待っていたと思います。その間、私も姉も、一言も話し合うことなく、ただ待ち続けました。私は「これからどうなってしまうんだろう。」と不安な思いが、ずっと頭の中でぐるぐるかけ回っていました。やっと職員の人が来て、「最後にあいさつだけ。」と言われて暗い気持ちで2階の、ぶたママさん達のいる部屋に行きました。でも、ぶたママさん達の泣きはらした顔を見て,「今日は家に帰れない。」と思うと、どんどん悲しみが込み上げてきて、姉と一緒に泣き出してしまいました。
「やっぱり家に帰りたい!!ぶたママさん達と離れたくない!!なんでこの人達はわかってくれないの?!なんで私達はぶたママさん達と帰っちゃダメなのーー??!!」と泣きながら心の中で叫んでいました。ぶたママさんや桃井さんやMEmamaさんも、「どうか返してください、明日朝また連れてきますので!!」「大切な子供達を連れていかないで下さい!!!」と泣きながら必死に訴えたのですが、「これは法律だから、今日は子供達を帰すわけにはいかないんです!」と一向に聞いてもくれませんでした。    一方,その頃MEちゃんは別の部屋にいたのですが、MEちゃんはどこからか私の泣き声が聞こえたので、Oさんに「どうしたんですか?」と聞いたら、Oさんは冷めた感じに「いや、ねずちゃんが家に帰れなくなったから、泣いているんだよ。」と、言ったそうです。そんなOさんの様子と、私が家に帰れないということにビックリして、「えぇーーー!!!」と心の中で叫んだそうです。

36 「やっぱり家に帰りたい。そんなどんな所か分からないような所に行きたくない!!」

私と姉は泣き続けたまま、AKさんに猛抗議しました。「一時保護所行きはひどい!」「家に帰して欲しい!」しかし、どんなに言っても断固として絶対に聞いてはくれませんでした。車が来ているからと、ハイランドから連れていかれた時のような物凄い勢いで私達は車に乗せられ保護所に連れていかれてしまいました。すでに時は0時で、嵐のような一日だったので疲れ果ててしまい、どうにもならない気持ちのまま、眠り込んでしまいました。こんな悲しくて悔しい気持ちになったのは初めてでした。私が何を言っても、欠けらもわかってもらえない、まさに絶望的な気持ちでした。ただ、MEちゃんが来なかったこと、それだけが唯一の救いでした。「MEちゃんはきっと家に帰れている。こんな思いをしないですんでいるだろう。」そう思うと少しだけ心が楽になりました。

37 児童相談所は、子供の幸せの為にあるはずです。子供の意見も尊重するのは当然の事だと思います。しかし、私の意見はかけらも尊重されなかったし、それにぶたママさん達が泣きながら、何時間も何時間も頭を下げて頼んでも聞かないなんて、児童相談所も本当にひどいと思います。しかしそれ以前に、児童相談所の人達がそんな行動をしなければならなかったほど、紀藤弁護士やYyがおどろおどろしい、でっち上げの嘘の通告をしたからだと思います。ホームオブハートにいる子供達は強制労働させられていて、食事も食べさせていないし外にも出させてもらえない!すぐに保護しなければ大変な事になる!!などと言っているらしいことがわかりました。そのせいで、私達子供は二ヶ月間も閉じ込められ、MASAYAさんやぶたママさん達にも会えず、何の情報ももらえずに、不安でいっぱいの日々を送らされました。

第五へつづく

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最終更新:12月18日

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