子供たちからの声

このサイトは、紀藤弁護士・HTPのメンバーたちのために、言われもない虐待の疑いをかけられた子供が、
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また、この事件のように法律を利用した事件について考えていくサイトです

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第九

68 私が不登校になった理由について書きます。
少し話が前後しますが、私が学校に行かなくなった大きな理由のひとつは「クラスメイトの子から、チビなことをからかわれたり、いじめられたりしたこと」です。たしか、平成11年春頃に私達は家を引越しました。といっても、学区内なので、転校はしませんでしたが、通学路が変わり、これまで一緒に登下校していた友達と別れ、私一人で帰るルートになりました。一学期中はなんともなかったのですが、二学期が始まった秋頃から、帰り道の私が一人っきりになったところを狙って、男の子達からからかわれるようになりました。この出来事で、「学校行きたくないな」と思うようになりました。いつものように私は友達と別れて一人で歩いていたら、クラスメイトの男の子が2〜3人やってきて「やーい、チービ」とか顔の形が逆三角っぽかったため「(おむすびをもじって)やーい、こむすび、こむすび」「こねずみ、こねずみ」とからかってきました。私は、身体がチビな事をすごく気にしていて、他人にそのことを指摘されたくなかったので、ものすごく、傷つきました。嫌がる私が面白かったんでしょうか、これが、この一回で終わりではなく、毎日毎日続きました。このときの私はまだ「チビ」を「ダメだ」と思っていたので、すごく耐えがたかったし、心から傷つきました。時には、気に入って大事にしていた消しゴムをその子達に取られてしまい、どんなに「返して!」と言っても「知らね〜」とそっぽを向かれ、返してくれませんでした。たぶんどこかに捨ててしまったんでしょうか。いたたまれず、泣きながら家に帰ったことが何回もあります。「もういやだ。学校に行きたくない。」と、そう思い始めていました。この頃はそれでも、なんとかむりくり学校に通っていました。しかし、私が2年生の二学期、晩秋だったと思います。「こねずみ事件」で心を痛めていた私に、さらにおいうちをかけるように、私は風邪をこじらせて3週間位学校に行けなくなってしまいました。やっと治って学校に行ったときには、算数のかけ算や国語、その他の授業がかなり進んでいて、私だけなかなか追いつけなくなってしまいました。それまで、結構成績はいい方だった私も、どんどん自分だけ取り残されてしまうような感覚がありました。いつも、家で姉が勉強を手伝ってくれましたが、私はもう学校に行くことが嫌で嫌で仕方がありませんでした。学校での競争や、勝ち負けの中で背伸びをしてきて、「負けるもんか!」と踏ん張ってきたのが、がらがらと崩れたようでした。私もだんだん学校に行くことが嫌になって、家で留守番をしていることが多くなりました。

69 その頃から、母は教育ママになってきていました。学校に行かない事に関して厳しくなり、日に日に学校に行かなくなる私と姉を見て、母は、「早く学校に行きなさい!」と言うことも多くなりました。ただ、何とか行かせようとして「車で送ってあげようか?」とも言われました。でも,行かないからと言って、怒鳴ったり、引っ叩いたりする事まではしませんでした。今思えば、教育熱心な母は、一人で2人の子供をかかえながら仕事を持ち、「何とか一人でもやらなくちゃ!!」と必死になっていて、私達の気持ちを考える余裕はなかったのだろうな、と思います。

70 姉と私は家にいる間は暇なので、姉はいつも自転車でどこかへ出かけてしまい、私は一人で絵を描いたり、人形遊びをしたり、時には漢字ドリルをしながら留守番をしていたのですが、自由に外に出かけられる姉をうらやましく思っていました。そこで、自転車に乗れるようになるため、マンションの駐車場で練習に練習を重ねて、まだふらついてしまうけれど、近くのセブンイレブンまでお菓子を買いに行くことが出来るようになりました。しかしある日、自転車でコンビニまで行った帰り道に、ちょうど車で帰って来た母が、ふらふらしながら自転車に乗っている私をめざとく見つけ、帰ってくるなり「そんなふらふらで、事故でも遭ったらどうするの!!」と怒られました。また、こんなこともありました。あまりに母が厳しい(といっても、引っ叩いたりすることはありませんでした。)ので、姉がついにいたたまれず、「お母さん!お母さんはなんにも私の気持ちをわかっていない!お母さんは知らないだろうけど、学校はもう昔の学校と違う。子供同士が戦いあう戦場に過ぎない。ちょっとしたことでもムカついたらそれこそナイフで刺しかねない。そんなところにいつまでも通わせるつもりなの!?」と、怒鳴ったことがありました。私はそばに座っているだけでしたが、姉の言っていることは、本当にその通りだ。と心から共感しました。母は泣きながら本当に心から謝ってくれて、「本当にごめんなさい。私は本当に何にもわかっていなかった。」と、言いながら、私と姉を抱きしめてくれました。この事件のあと、3人で手をつないで近くのお店まで出かけました。いままでは、一緒にいてもなんだか通じあえていない感じがして、どうもギスギスしているような嫌な感じがありました。でもこのときは、本当に久しぶりに、ホッとできたというか、安心できるような安心感がありました。

71 そんな出来事があったためか、母はホームオブハートのスタッフの方に相談をしていたようでした。詳しいことは母や姉の陳述書に書かれていますが、私達の面倒を見ながら仕事をしたい。という母の希望が叶うようにスタッフの人から「うちで働いたら?」と声を掛けてくださるようになり、母も私も姉も大賛成でした。こうして私達は屋久島に引っ越すことになり、母はホームオブハートのスタッフになりました。屋久島はまさに「もののけ姫」の世界のような、森でいっぱいで空気のきれいな、とても美しい所です。

第十へつづく

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最終更新:12月18日

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