子供たちからの声

このサイトは、紀藤弁護士・HTPのメンバーたちのために、言われもない虐待の疑いをかけられた子供が、
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第七

60 平成10年10月
私達はホームオブハートの屋久島のホテルに3泊4日の旅行に行きました。どんな日程か、何をしたか、は母や姉の陳述書に書かれている通りです。私が、この旅行でどんな思いが残ったか、というと、「本当に久しぶりに楽しかった旅行だった。」という思いでいっぱいでした。どうして、私がそう思ったかというと、父の病気がわかってから約1年間、私は気が気じゃない毎日を過ごしていました。父の闘病中は、父が早く元気になりますように、と、願わない日はなかったし、亡くなってしまってからはもっと一緒にいればよかった。学校なんか行かないで、お父さんのそばについていればよかった。と後悔する毎日でしたから、さっきも書いたように、私は全く笑うことを忘れてしまったのです。本当は、父と一緒に来たかった屋久島。母がぽつりと「お父さん、屋久島に行きたがっていたのよね。」と、遠くを見るような目で言っていたのが忘れられません。この屋久島旅行で、沢山の犬や猫、アヒルさんに囲まれて遊ぶうちに、本当に久しぶりに、心から「楽しい」と思えました。私は小さかったから、姉みたいに詳しいことまでは覚えていません。でも、この旅行が本当に楽しかったし、嬉しかったことは、今でもハッキリと覚えています。家に帰っても、父がいない寂しさは確かにありましたが、ほんの少しだけ、その寂しさがやわらいだような気がしました。

61 平成10年12月24日
大宮ソニックシティーホールにてMASAYAさんのコンサートがありました。お父さんのお葬式などで、9月のコンサートには行けずに終わってしまったので、このコンサートのチケットは発売されてすぐに買って、楽しみに待っていました。母はお気に入りのバッグに父の写真をそっと入れていました。その様子をじっと横で見ていた私に「これで、お父さんも一緒だよ。」とニッコリ笑ってくれたので、私もニッコリしました。
いよいよコンサートが始まると、ステージの上にMASAYAさんじゃない男の人が出てきました。母が「あの人はToshiさんだよ。」と言っていたのですが、私は「なーんだ。MASAYAさんじゃないのか。」とがっかりしていました。
ようやくMASAYAさんがステージの上にやってきたとき、私はなんだか懐かしいような、そんな気持ちになりました。一緒に見ていた姉も、同じ事を思ったそうです。うまく言葉ではいえませんが、「なんだか、お父さんに似てる。」と思ったのです。

62 平成11年1月頃
母が父が勤めていた会社の関連会社で働き始めました。父が亡くなって、悲しんでいた母が、父の会社の人から働いてみないかと声を掛けてもらったことがきっかけだったそうです。母は朝早く家を出て、夜の8時から9時ぐらいに帰ってくる、と言うサイクルになった為、私と姉は鍵っ子になりました。

63 平成11年3月3日
ロサンゼルスのレコーディングツアーに行きました。母から、「今度、ロサンゼルスにMASAYAさんと行けるツアーがあるんだって!」「やったー!行く行く!わーい!」と私と姉は大喜びしました。何しろ、私と姉は一度も海外旅行に行ったことがありませんでしたので、嬉しくて嬉しくて仕方がありませんでした。早速、近くのデパートに行き、スーツケースや、お洋服を買ってもらって、ツアーの日を楽しみに待ちました。待ちに待った当日、朝早くから起きて新幹線に乗り、成田空港へ向かいました。成田空港へ向かう新幹線の中で、私はぐっすり寝ていたので、半分寝ぼけた状態で母に手を引かれながら歩きました。空港でMASAYAさんの姿を母が見つけ、「あーっ、いたいた。MASAYAさんだ!」と言ったので、半分寝ぼけた私も辺りを見回してみると、MASAYAさんの姿が一瞬だけ見えました。その後、手続きを済ませ、飛行機に乗り込んだのですが、またしてもそこでぐっすり寝てしまい、全く覚えていません。気がついたら、ロサンゼルスに到着していました。空港のおじさんがニコニコ笑いながら英語で「どこに行くの?ディズニーワールド?」というようなことを話しかけてきたのですが、私は恥ずかしくてモジモジしてしまいました。みんなでバスに乗って、公園みたいなところに向かい、そこでバーベキューをしました。食べ終わった後、芝生の丘のようなところで寝転がっていると、傍にいたMASAYAさんに「おいで。」と声をかけられたのですが、恥ずかしさから、MASAYAさんからコロコロ転がって離れていってしまいました。次に、海岸に行きました。キレイな貝殻がいっぱいあったので、拾って遊んでいました。

64 ツアーの中盤、ハリウッドのキャピタルスタジオというスタジオでレコーディングの見学をしました。レコーディング中、MASAYAさんがうさぎの耳がついたかぶりものをかぶっていたのが、すごく似合っていてかわいいと思いました。レコーディングはたぶん2日か3日間、ありました。全部のレコーディングが終わり、夕ごはんを食べに、みんなでビバリーヒルズにある高級焼肉屋さんに行きました。MASAYAさんと私たちは同じテーブルに座りました。MASAYAさんに「ましゃましゃって、呼んでね」と言われたのですが、私はちゃんと聞き取れなかったのと、恥ずかしくて「もしゃもしゃ?」と言ってしまいました。MASAYAさんは笑って「ましゃましゃだよ〜。まあ、この辺はもしゃもしゃだけどね。」と言いました。笑いながら、私はなぜか自分の父を思い出していました。MASAYAさんは父とは全然違う人のはずなのに、どこか似ているような、そんな不思議な気持ちがしました。母が父のことを話すと、MASAYAさんはびっくりして、「ええ!賀江と一緒だ!」といいました。賀江さんも、ガンで亡くなっていたのは知っていたんですが、なんと、父と同じスキルスガンで、それもガンがわかってから、8ヶ月の命だった、ということも同じだったのです。「じゃあ、僕達は仲間だね。」と言いました。ちょうどそこにレコーディングディレクターのMさんが来たので、私と姉とMASAYAさんでクイズを出しました。「私たちは共通点があります。それはなんでしょう?」Mさんはなかなか答えがわからなくて、いろんなヒントを出したのですが、結局答えられなかったので答えを言いました。「大切な人を同じ病気で亡くしました。」それが、クイズの答えです。答えをMASAYAさんと私、姉の3人で同時に言った瞬間、母とMさんはハッとした顔をしました。そして、なんだか周りのテーブルの人達もシンと静まり返ってしまいました。私の一番大切な人だったお父さん。しかしもう帰らない人になってしまった、MASAYAさんの大切な人だった賀江さんも、父と同じ病気で、もう会えない人になってしまった。そんな同じ痛みを持った人に、まさか会えるなんて、夢にも思いませんでした。これは、きっとMASAYAさんもおんなじ気持ちだったと思います。この気持ちは、本当に大切なものをなくしてしまった人にしか、きっとわからないものです。そんな切ない気持ちを、皆感じたひと時でした。

65 料理が運ばれてきたので、「さーさー子供達!いっぱい食べなー!!」と、MASAYAさんはどんどんテーブルの真ん中についていた焼き網に運ばれてきた食材を並べ始めました。ものすごい速さで焼きあがった料理は、「はい、焼けたよー」と、これまたMASAYAさんがものすごい勢いで私と姉の取り皿によそい始めました。
ちょっと食べないでいると、すぐに山盛りになってしまうぐらい、ものすごい早さでした。食事の最後のほうで、なぜかまだ皮が青いバナナのスライスが沢山のっている皿が運ばれてきたときは、私達は全員「これ、焼くの?」と呆然と見つめました。「たぶん、焼くんだと思うよ。」ということでMASAYAさんが鉄板に「バナナ」を並べて焼き始めました。こんがりと焼きあがったバナナを一口かじったMASAYAさんは「なんだこれ!いごい!」Mさんも一口食べて「うぉ!まっず!」怖いもの知らずの私の姉も食べて見て「ぎょえー!なんだこれは!」と、大笑い。さっきまでしんみりしていた空気が突然大笑いに変わった瞬間でした。
最後に出てきたデザートはイチゴと生クリームがたっぷりのったミルフィーユだったのですが、「こういうの、賀江好きだったんだよな・・・。」としんみり言ったMASAYAさんに、私の父もケーキが大好きだったので、私も思い出してしんみりとした直後・・・「じゃ、食べよう!」と明るく取り分け始めました。まるで、父と賀江さんも、一緒にデザートを食べているような気持ちになりました。私は沢山MASAYAさんにデザートをよそってもらって、キレイに平らげました。いつもデザートを嬉しそうな顔をしてもりもり食べていた父の顔を思い出しながら食べました。MASAYAさんは、のりのりはこういうものが大好きだから、と自分がいっぱい食べさせ過ぎて、賀江さんは癌になってしまったんじゃないか、と後悔している。という話を聞きました。私のお父さんも大の甘い物好きで、お風呂上りにアイスキャンディーを必ず1本食べ、「アイスクリーム」や「チョコレートパフェ」や「柏屋の薄皮饅頭」「たい焼き」といった、こってりした甘いお菓子やポテトチップスなどのスナック菓子が大好物だったので、「私のお父さんも、それで癌になってしまったのかな。」と、思い出して少し悲しくなりました。デザートも食べ終わり、母とMASAYAさんとMさんはものすごく話が盛り上がっていたのですが、私はすっかり飽きてしまい、「もう帰りたい」とポツリとつぶやきました。
絶対に聞こえないぐらいの小声で言ったはずなんですが、
「えっ何?帰りたい??そうか、わかった!じゃあ帰ろう!じゃあ皆さん今日は本当にありがとうございましたー!!」
と言って立ち上がったのはMASAYAさんでした。あんなに楽しく盛り上がっていたのに、MASAYAさんはさっさと切り上げて、皆でレストランを後にしました。
今思えば、MASAYAさんはいつも私や姉のことを最優先してくれていたな、と思います。

第八へつづく

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最終更新:12月18日

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