子供たちからの声

このサイトは、紀藤弁護士・HTPのメンバーたちのために、言われもない虐待の疑いをかけられた子供が、
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また、この事件のように法律を利用した事件について考えていくサイトです

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第十六

108 乳児院
  私と姉は、6月2日に一時保護所から出ることが出来ましたが、あの日日赤病院へ連れて行かれた妹の妹は、まだ宇都宮市の乳児院が預かることになっていて、一緒に暮らすことができませんでした。たった一人ぼっちで、知らない人に囲まれて、きっと妹はとても怖かっただろうと思います。久々に会った妹は、すっかり傷つき、可哀想なことにまったく笑わない子になってしまいました。あんなに笑顔の素敵だった子から、笑顔が一切なくなり、笑わない子になってしまったのです。そんな、悲しい思い出を書きます。すべて、本当のことです。妹を可愛がっていた私にとってこれが、一番つらい思い出です。どうか、すべて読んでください。毎週日曜日に、宇都宮市まで妹に会いに行きました。初めて妹に久々に会った日、いつも通り笑顔で迎えてくれるかと、思っていました。しかし、可哀想な事にこの事件ですっかり別人になってしまい、私の事も忘れてしまったようです。保母さんが妹と手をつないで来ました。私は「あっ、歩けるようになったんだ!」」と嬉しく思い、「Cー!(妹の名前)」と声を掛け、抱きしめようとしましたが、妹はひどく怖がった顔をして「いやー!!」と叫んで保母さんの足にしがみついてしまいました。保母さんが「Cちゃん、お姉ちゃんだよ。」と言っても、「いやー、いんなーい!(妹語でいらないという意味です)」と泣き喚くばかりで、全然こっちに来ようとしません。保母さんが「じゃあ、楽しく遊んでね。」と言って、いなくなろうとすると、「ぎゃー!!!」と大声でさらに泣き喚いて保母さんのほうを悲しそうに見つめていました。
私はものすごく悲しくなってしまいました。あんなに可愛かった妹、あんなに懐いていた妹が、こんな別人になってしまい、私や姉や母の顔すら、忘れてしまったのかと思い、泣きそうになりました。私は家から妹がものすごく気に入っていた、Nさんからもらったピンクのウサギのぬいぐるみを妹に渡してみました。妹は少し思い出したのか、私の手からウサギを受け取り、じっと見つめて握っていました。そして、今までは離れたところでしょんぼり座っていた妹が、私のところにやってきて、ひざの上に座りました。「Cー!」と私は妹の事を抱きしめました。「やっと、思い出してくれたの?」と嬉しくて嬉しくて涙が出てきました。妹は、すっかり無表情になってしまい、まったく笑いませんでしたが、いつのまにかスヤスヤと眠ってしまいました。様子を見ていた母と姉も「よかった、よかった」と胸を撫で下ろし、姉は携帯のカメラで写真を撮ってくれました。

もっと、一緒にいたかったのですが、もう面会時間が終わってしまい、妹とお別れすることになってしまいました。他の子供達が遊んでいるお部屋まで妹と手をつないで歩いていきました。入り口の所に仕切りがあり、奥は他の子供達が遊んでいるお部屋でした。お部屋側にはさっきの保母さんがいて、「Cーちゃん、お姉ちゃんに遊んでもらってよかったねー。また遊びに来てねー」と妹のことを抱き上げました。私は妹に「バイバイ。」と手を振り、部屋を出ようと歩き出した時、「バイバイ、バイバイ」と、妹の声が聞こえてきました。他の子供達がキャーキャー遊んでいる声よりも大きな声でハッキリと妹の声が聞こえました。そして、妹の背丈ほどもある仕切りの上から顔を出して、手を一生懸命振っていました。どんなに周りの子供達が楽しそうに遊んでいても、妹は私達が見えなくなるまで手を振り続けていました。
―帰りたくない。妹も一緒に連れて帰りたかった。と、胸が張り裂けそうになりました。
西那須野に帰る車の中で、私は泣いてしまいました。何にも悪いことしていないのに、妹からも離れ離れにされて、つらい思いをしました。こんなことがあっていいのでしょうか。
次の日曜日、私は妹がお気に入りだったおもちゃ、ぬいぐるみ、大好きな「ビスコ」というお菓子をありったけカバンにつめて、出かけました。
相変わらず妹は「いんない、いんない」と泣いてばかりでしたが、何とか私には懐いてくれました。一緒にビスコを食べたことを思い出したのか、持って来たビスコを差し出すと、笑顔はまったく見せませんでしたが、どこか嬉しそうに受け取り、あっというまに食べてしまいました。
一緒に持って来たおもちゃで遊んでいるうちに、また帰る時間が来てしまいました。この日は保母さんが妹を抱っこして玄関先で見送ってくれました。妹は私達がいなくなってしまうまで、ずっと手を振ってくれました。

109 3回目の日曜日から、トシオフィスのTmamaさんも、一緒に乳児院に行くようになりました。Tmamaさんも息子のT君が妹と同じ日赤病院に連れ去られてしまったお母さんです。Tmamaさんの家の近くのコンビニで待ち合わせをして、一緒に宇都宮まで出発しました。TmamaさんはT君が生まれた頃から写真を何百枚も撮って可愛がっていたお母さんで、健康のために納豆を欠かさず食べさせていたそうです。「乳児院で身体に悪いものを食べさせられていないかしら。」と心配して、「納豆やめかぶ、玄米おにぎりのお弁当を作って、面会に行く日は食べさせています。」と言っていました。本当は、Tくんのことを弟のように可愛がっていたシャーマンちゃんも、一緒に連れて行きたかったんですが、乳児院の人に「家族じゃない人は面会できません。」と断られてしまって、T君に会いに連れて行くことができませんでした。
シャーマンちゃんは、私達と同じアパートに住んでいましたので、出かける前に「Tの写真をいっぱい撮って来てほしい。頼んだよ!」と、シャーマンちゃんから熱を込めて頼まれました。
乳児院の保母さんに「私達は知り合い同士なので、一緒の部屋で面会できませんか?」と聞くと、「いいですよ。」と、個室を準備してくれて、私達は妹とT君が来るのを待ちました。妹は相変わらず、眉毛を八の字にしながら、保母さんと一緒に歩いてきて、T君は一人で走ってTmamaさんに飛びつきました。いつものように、私がおもちゃを取り出すと、妹はT君いっしょになって遊んでいました。この日は個室だったからか、「夕ご飯も一緒にどうぞ。」と保母さんが言ってくれて、妹に夕ご飯を食べさせることが出来ました。
保母さんが妹がいつも使っているという赤ちゃん用の椅子とテーブルを持ってきてくれて、久々の妹との夕ご飯タイムを過ごすことができました。Tmamaさんは早速、持ってきた「こだわり弁当」を取り出し、T君のテーブルに並べました。おかずをちょっと味見したTmamaさんが、「うわっ、味付けが濃いし、甘すぎる。これじゃ身体に悪いわ。」と言って、顔をしかめました。「妹ちゃんも、どうぞ」と、「こだわりのお弁当」を半分わけてくれました。妹は昔と変わらず、出されたご飯は完食しました。妹がどんなに食べる子か充分知っていた私は「ちょっと足りないんじゃないかな?」と思いました。思ったとおり、T君がお腹いっぱいになって残してしまったものは、全部妹が平らげました。

110 次の週から、私達はその個室を貸してもらえるようになり、姉は「じゃあ今度はCDプレーヤー持っていこうよ!」と言って、昔よく流していたMASAYAさんのCDを聞かせていました。ある時、姉と母がなぜか、たまたまそばにいなく、私と妹で廊下で遊んでいました。私が妹を抱っこしながら、カーテンの中に隠れてみたり、外に飛び出してみたり、というようなことをして、妹をあやしていたら初めて「キャハハ!」と声を立てて妹が笑ってくれました。私は目を丸くして驚きました。嬉しくなってさらに同じことを繰り返したら「キャッキャッ!」と手をたたいて楽しそうにしていました。妹が保護されてから半年たった頃のことでした,あの日から、全く笑わなかった妹がようやく笑ってくれたひと時でした。戻ってきた姉と母にそのことを話したら「えー本当なの!」と驚いて、喜んでくれました。母が4月30日に妹に会いにいった時から、すっかり無表情になってしまっていたので、本当によかった。と私達は心から喜びました。妹が保護されてから8ヶ月が過ぎた12月14日、やっと、妹が私達の元に帰ってきました。

111 妹が家に帰ってきてから、私と姉が児童相談所やA館に出かけるために、「C、ちょっとおでかけするからね、バイバイ」というと「バイバイヤダーーー!!!!ウェーン」と首を振って、しがみついてくるようになりました。もう、誰とも「バイバイ」したくない、という妹が可哀想で、仕方がありませんでした。困った母はMASAYAさんに「こんなひどい体験をして、あの子は全くの別人になってしまった。すっかり笑わない子供になってしまった。一体これからどうあの子に接したらいいのでしょうか。」と、相談したそうです。MASAYAさんは、「そのままにしておきなさい。子供は変なままでいいんだよ。それを、周りの大人がダメだとかやめなさいと、言ってしまうと、ますます子供は苦しくなってしまうから、そのままでいさせることがなによりも大切なんだよ。」とアドバイスしてくれたそうです。そんなMASAYAさんのアドバイスもあって、私達は本当に大切に妹のことを育てました。どんなに怖がっても、泣いても、「そのままでいいよ」と言って、「イイコイイコ」してあげました。

112 「三つ子の魂百まで」という言葉があります。成長しても気持ちはずっと一つのままです。紀藤弁護士,Yy,あなたたちは幼い妹の心に、大変な傷を負わせました。妹は死ぬまでこの傷を背負いながら生きることになってしまったのですよ。何てひどい人達。小さい子の幸せを奪ってまで、無実の人から喝上げをして、何が楽しいのですか。以上が、この事件で私が感じた、体験した事実のすべてです。この文書で初めて私の気持ちをすべて書き上げることができました。この文章をすべて読んでくれた方の心に私の思いが伝わりますよう、心から願っています。

第十七へつづく

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最終更新:12月18日

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